境川は肥後国と薩摩国の国境の小川。
石造アーチ橋が架けられていますが、
藩政時代には橋は無く、
飛び石伝いに川を渡っていたという。
「境橋」。
明治16年に架けられた石橋。
肥後の石工… 続きを読む
熊本県水俣市 境橋
コメントを残す
境川は肥後国と薩摩国の国境の小川。
石造アーチ橋が架けられていますが、
藩政時代には橋は無く、
飛び石伝いに川を渡っていたという。
「境橋」。
明治16年に架けられた石橋。
肥後の石工… 続きを読む
野間之関は薩摩藩の三大関所のひとつで、
※他の二つは去川の関、小川内の関。
その峻厳さで全国に知られたという。
物資の密輸、基督教や一向宗の取締、
藩内の… 続きを読む
幕末より少し前の文化、文政期。
来関した文化人の多くと交わり、
自宅を文化交流拠点とした人物がいました。
彼の名は廣江殿峯。
特に文人頼山陽、南画家田能村竹田とは、
深く交流を続けたとされています。
「廣江殿峯墓碑」標柱。… 続きを読む
大阪での商談時間に余裕があった為、
周辺の碑を巡ってみることにしました。
大阪に住んでいた事がありましたが、
久しぶりの大坂は結構変わっていました。
駅前は開発されているのは当たり前ですが、
驚いたのは地下鉄の運賃が安くなっている事。
市営から民営化されたようです。
さて、四ツ橋線肥後橋駅より西側。
金光教玉水記念館の脇に、
頼山陽の誕生地の碑があります。… 続きを読む
安政4年。
日米和親条約を修補する下田条約が結ばれ、
安政の改革を主導した阿部正弘が死去し、
幕府が将軍継嗣問題でゆれています。
そんな安政4年に浜田藩領内で、
ひとつの悲恋劇がありました。
浜田藩の同心某… 続きを読む