花輪館は鹿角の豪族花輪家の居城で、
鹿角四十二館のひとつでした。
花輪家は後に南部家に敗れて追放され、
代わって大光寺家が入って城下を整備。
その後は中野家が花輪館に入り、
花輪通(鹿角南部)を所有しました。
但し城下の花輪町や、
尾去沢鉱山は盛岡藩直轄であり、
二ノ丸に花輪御官所が置かれて、
街の行政を担当していたようです。
「花輪小学校(花輪御官所跡)」。
花輪館跡は花輪小学校となっています。
城郭跡だけに結構小高い位置にあり、
児童の足腰が鍛えられそうでした。
校舎や体育館がある場所が二ノ丸跡で、
花輪代官所が置かれた場所。
「花輪小学校運動場(花輪館跡)」。
校舎より高い位置にある運動場。
これは意外と珍しいと思います。
本丸跡だけに二ノ丸跡より高いのですが、
だぶん本丸跡の方が広いので、
運動場としたのでしょう。
ここに中野家(花輪南部家)の屋敷が置かれ、
所領内の行政が担われましたが、
当主は殆ど盛岡城下に在住しており、
家老が城代として入っていたようです。
花輪館は城塞としては結構なもので、
防御力は高かったと思われます。
大館周辺の戦いで盛岡藩は反撃を喰らい、
藩境まで退いて降伏していますが、
仮に花輪まで侵攻されたとしても、
花輪館を落とすのは時間掛かるかも?
「専正寺山門(花輪代官所移築正門)」。
城下の専正寺にある山門は、
花輪御官所の正門を移築したもの。
元々は豪商佐庄家の門であったとされ、
総欅造の薬医門が現存しています。
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・秋田県鹿角市 長年寺/花輪南部家墓所
花輪館の主花輪南部家の墓所。
・岩手県盛岡市 盛岡城跡
盛岡藩南部家の居城跡。