宇部市万倉にある天龍寺に、国司親相の墓所があります。
「天龍寺本堂」。
天龍寺は万倉領主国司家の菩提寺。
本堂は最近の建物のようです。
「国司家墓所」。
七代、十代、十二代~二十一代までの国司家当主の墓所。
七代国司元相は130余の首級を挙げた槍の名手ですが、
どれが元相の墓石かわかりませんでした。
二十一代が国司親相です。
「国司信濃親相夫妻の墓」。
手前が国司親相の墓で、奥が弥佐夫人の墓です。
親相は寄組士高洲元忠の次男として生まれ、
同じく寄組士国司迪徳の養子となり、
家督を継いだ後は、藩内で次第に頭角を現しています。
文久3年の長井雅楽切腹の際には検視役正使を務め、
同年の下関攘夷戦にも出陣しました。
しかし八月十八日の政変で長州藩が京都から追放されると、
家老に昇格した上で京都に新発。禁門の変が敗北に終わると、
他の二人の家老と共に、敗軍の責を負って自刃しています。
辞世の句は「よしやよし 世を去るとても 我が心
御国のために なほ尽さばや」
「君がため つくせやつくせ おのがこの
命一つを なきものにして」
墓所を歩いているとこのようなお墓を見つけました。
「皇朝学士野村真幸先生墓」。
野村真幸という人は調べてもわからなかったのですが、
没年が明治六年、享年61歳ということで、
幕末期に活躍した人物のようです。
皇朝学士という肩書から、
万倉で皇朝学(国学)を教える学者だったのでしょうか?
■関連記事■
・宇部市 国司家居館跡
奥万倉伊佐地の国司家の居館跡。
・宇部市 万倉護国神社
国司親相や国司家家臣を祀る招魂社。
・周南市徳山 三家老幽閉之地
三家老が徳山藩に預けられて幽閉された場所。