新下関駅北東側にある普賢寺の納骨堂前に、
乃美大方の墓があります。
毛利元就の継室(又は側室)だった女性で、
元就の正室であった妙玖の死後に嫁ぎ、
穂井田元清(長府毛利家の祖)、
天野元政(右田毛利家の祖)、
小早川秀包(吉敷毛利家の祖)を出産。
正室妙玖の子らに劣らぬ優秀な息子らは、
毛利家を盤石なものとしました。
「普賢会館 納骨堂」。
普賢寺は乃美大方の菩提寺。
乃美大方は毛利家の防長転封後、
孫の長府藩初代毛利秀元が引き取り、
秋根の地で移り住みました。
しかし翌年には死去しており、
その跡地に建立されたのが普賢寺。
死後に当地で荼毘に付されてたとされ、
その灰塚が納骨堂の敷地にあります。
「智光院殿蘭渓怡秀大姉(右)」、
「大方灰塚(左後)」。
墓碑は晩年に建てられてものですが、
灰塚は当時のもの。
遺骨は功山寺に葬られており、
境内の長府毛利家墓所には、
乃美大方の宝篋印塔が建てられてます。
■関連記事■
・広島県廿日市市 洞雲寺
乃美大方の子穂井田元清の墓所。
・山口県周南市 毛利元政宝篋印塔
乃美大方の子天野元政の墓所。
・下関市豊北町 西楽寺/毛利秀包墓所
乃美大方の子小早川秀包の墓所。