島根県益田市 机崎神社

机崎神社奈良時代に創建された古い神社で、
五穀豊穣にご利益があると、
地元民や時の領主に信仰されました。

元々は川の対岸の稲積山にあった稲積神社が、
南北朝時代に現在の場所に遷座されて、
机崎神社と呼ばれるようになったようです。

扇原関門(記事はこちら)を突破した長州勢は、
そのまま益田へ侵攻。
机崎神社に軍勢を集結させました。


机崎神社」。
机崎神社は扇原関門から多田川を北上して、
山が開ける場所に位置し、
一旦軍勢を整えるに適した場所でした。
村田蔵六(大村益次郎)は稲積山に登り、
幕軍の様子を伺い、軍儀を開いたとされます。


机崎神社境内」。
長州勢は700余名だったようですが、
軍夫も入れると境内には入りきれそうにない。
境内には幹部連中が入って、
兵は周辺に待機していたのかな?
長州勢はここから再度出発し、
益田川対岸に陣取る幕軍に攻撃を開始しました。

■関連記事■
島根県益田市 剣豪永井金三郎の墓
 益田戦争で戦死した剣豪永井金三郎の墓。
島根県益田市 万福寺・医光寺
 益田戦争の激戦地。銃痕も残っています。
島根県益田市 妙義寺~乃木三蔵之墓
 益田戦争で戦死した長州藩士の墓。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です