弘化4年。平舘にオランダ船が現れ、
食料が欲しいと村人に伝えて、
ぬか漬け大根を貰って帰っています。
翌日には米が欲しいとやって来ますが、
村人は無いと言って断りました。
4日後には少し南の野田に上陸して、
また米が欲しいと言ってきましたが、
村人は生大根と酒を与えています。
その後にまた平舘に上陸して来たので、
酒と米を渡すと再び現れなくなったという。
この事件は弘前藩に報告され、
後に幕府にも伝わる事となって、
台場が築かれることになりました。
現在の平舘砲台跡周辺には、
道の駅やペンション、
オートキャンプ場が集まっています。
「平舘灯台」。
青函連絡船の安全な航行を見守った灯台。
平舘のシンボルにもなっています。
「平舘台場跡」。
嘉永2年に弘前藩が築いた台場跡。
やや扇形をした土塁に囲まれており、
大砲を据えたと思われる窪地が7ヶ所、
出入口が2ヶ所残されています。
海側から台場を隠す為、
33本の松が植えられました。
台場跡内の様子。
結構な広さがあります。
海側からの台場跡。
嘉永5年。吉田松陰は東北遊学の際に、
宮部鼎蔵と共に平舘台場を訪れました。
[東北遊日記]によると、
常時大砲は置かれなかったようです。
■関連記事■
・青森県外ヶ浜町 蟹田台場跡
弘前藩が設置した台場のひとつ。
・松陰の東北遊学⑧
吉田松陰は平舘台場を訪れています。
・青森県東津軽郡 吉田松陰東北遊日記碑
鋳釜崎に建てられた吉田松陰の日記碑。