吉田松陰と宮部鼎蔵は、
東北遊学の際に米沢を訪れており、
その滞在を記念した碑が、
旧粡町に建てられています。
※旧粡町は現在の米沢市中央7丁目付近。
「吉田松陰旅宿の地」碑。
3月25日。七ヶ宿の滑津宿を出た2人は、
花沢の関を越えて米沢城下に到着。
粡町辻西の旅籠遠藤権内方に宿泊しています。
3月26日。米沢藩医高橋玄益を訪ねて、
藩の諸学士を紹介してもらおうとしますが、
その日は参勤交代を明日に控えていた為、
藩士はそれどころではありませんでした。
仕方なく2人は藩の事情を調べたようで、
藩領や支配体制、家臣団の構成や、
側室や女中の出自、
特産の蚕と漆の数量や販売、納税方法まで、
市街は警戒態勢だったと書かれていますが、
誰に聞いたのか?という程に、
細かく調べています。
3月27日。
辰時(御前8時頃)に藩主の行列が出発。
※当時の藩主は12代上杉斉憲。
2人は大町でこの大名行列を見送った後、
米沢を跡にして会津に向かいました。
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米沢藩上杉家の居城跡。
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吉田松陰の墓所のひとつ。