奥羽越列藩同盟の奮起を即す為、
雲井龍雄は[討薩檄]を起草しました。
多くの檄文の中でも素晴らしい名文とされ、
その檄は同盟軍将兵を鼓舞したという。
その雲井の旧宅跡に碑が建てられています。
「憂国志士雲井龍雄遺蹟」碑。
雲井は米沢藩士中島惣右衛の次男に生まれ、
叔父小島才助の婿養子となり小島家を相続。
ここはその小島家の旧宅跡で、
碑は県道233号線の海谷酒店の端にあります。
雲井龍雄の名は明治以降に使い始めたようで、
当時は小島守善と称していました。
江戸在勤となり安井息軒の三計塾に入門。
執事長(塾頭)にも選ばれています。
慶應2年以降は京都で探索活動を行い、
大政奉還にも貢献し新政府の貢士に抜擢。
しかし薩摩藩の横暴を目の当たりにした為、
戊辰戦争では「討薩檄」を起草し、
奥羽列藩同盟全軍を奮起させました。
米沢藩降伏で捕らえられて禁固されますが、
許された後に上京して集議院議員となります。
しかし薩摩批判によって議員を追われると、
不満を持つ旧幕臣や旧諸藩士が集まり始め、
これが政府に疑惑を与えて謹慎処分となり、
後に東京で裁判もなく斬首されました。
[雲井龍雄遺蹟]碑の北西約300mの場所に、
米沢藩主上杉家廟所があります。
「上杉家廟所」。
藩祖上杉謙信及び歴代藩主が眠る墓所。
訪問時はコロナ禍の為に閉社中でした。
それほど三蜜でもない気もしますが、
観光地ですので結構人は来るのかな?
墓所まで数十mですが非常に残念ですね。
いつか必ず来たい場所のひとつですので、
米沢にはまた訪問することになるでしょう。
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米沢藩上杉家の居城跡。
・東京都荒川区 南千住 小塚原回向院
雲井龍雄の墓が建てられています。