豊功神社は歴代長府藩主を祀る神社。
古くから龍神の祠と櫛崎八幡宮がありましたが、
初代藩主毛利秀元が城を構えるにあたり、
毛利の守護神宮崎八幡宮を安芸国より勧請し、
宮崎八幡宮と称して神社を創建して、
後に松崎八幡宮と改称しました。
また忌宮神社の境内社に豊功明神社があり、
歴代長府藩主を祀っていましたが、
大正6年に松崎八幡宮と合祀させて、
豊功神社と改称されています。
「社殿」。
当時の社殿は火災で焼失しており、
平成13年に建設された新しい社殿です。
「長府藩報国隊顕彰碑」。
元治元年11月23日、
長府藩士熊野直介、福原和勝ら20名が、
忌宮神社境内の豊功明神社前で、
決死報国の盟約を結びました。
慶応元年1月にも熊野らが豊功明神社に参拝。
報国隊組織上申書を藩主に提出し、
長府報国隊が設立されます。
長府報国隊は小倉戦争に従軍して勝利に貢献。
その後の北越戦争にも出陣し、
57回の激戦で戦功を挙げており、
昭和61年にここに顕彰碑が建てられました。
境内より望む満寿、干寿の二つの島が美しい。
2つの島は忌宮神社の飛び地境内で、
神功皇后が龍神から授けられた二つの玉から、
生まれた島だという伝説があります。
この二つの島ですが、
どちらが満寿で干寿かははっきりしません。
忌宮神社や国土地理院では沖にある方が満寿で、
岸に近い方が干寿としていますが、
土地台帳と天然記念物指定文書では、
沖の方が干寿、近い方が満寿となっています。
どちらも国家の発行する公的な文書ですが、
どっちかが間違いなんでしょう。
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