本多神社は膳所藩藩主らを祀る神社で、
明治16年に旧膳所藩士らが建立した神社。
境内は藩主の隠居所であった浜御殿の跡で、
広大な大名庭園を有した御殿でした。
「本多神社」。
祭神は初代藩主本多康俊と2代本多俊次の他、
康俊の養父本多忠次、忠次の父本多忠俊。
旧藩主家を祀る神社は全国にありますね。
さて、この神社が特殊なのは、
その境内に2基の古墳がある事です。
しかしそれらは大変なことに・・・。
「本多神社古墳」。
石が無造作に散乱しており、
中央付近の石は石棺のようにも見えます。
浜御殿の建設の際に古墳が出てきて、
それらを庭園の石として使用したらしく、
このような状態になっているようです。
「広鶴稲荷」。
もうひとつの古墳の上には、
稲荷神社が祀られており、
その古墳の横穴式石室には、
子授け地蔵が安置されています。
こちらも良い感じの小山があったので、
稲荷神社を建立したら、
実は古墳だったという事でしょう。
庭園としていじられたものなので、
実際はもっとあったのかもしれません。
「丹保之宮」。
膳所十一烈士を祀る神社。
慶応元年に将軍徳川家茂が上洛する際、
膳所城に一泊する事が決定されましたが、
膳所藩士らによる将軍暗殺計画があるとして、
大津宿に宿泊地が変更となります。
この暗殺計画を企んだとして、
以下の11人が捕縛されて処刑されました。
保田正経、田河武整、阿閉信足、槙島光明、
森祐信、高橋正功、高橋幸佑、関敏樹、
渡辺緝、増田正房、深栖當道
彼らは膳所藩の尊攘派藩士で、
寝所に釣り天井を仕掛けようとしたという。
これは上阪三郎右衛門の密告とされます。
釣り天井という大掛かりなものは、
藩ぐるみでないと成しえないでしょうから、
冤罪であった可能性が高いのですが、
彼らは抵抗もせずに処分を受けたようで、
保田、田河、阿閉、槙島の4名は切腹。
他の7人は斬首に処されました。
後の維新後に彼らの名誉は回復し、
彼らを陥れたとされる上阪三郎右衛門も処分。
彼らは膳所十一烈士として祀られています。
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古墳の頂上が墓所となっています。