江戸時代初期の京都とその周辺の行政は、
京都所司代と京都郡代が行っていましたが、
※京都郡代は後に京都代官となっています。
その職務が多忙となってきた為、
寛文8年に伏見奉行を含めた再編が成され、
所司代の下位機関として京都町奉行が置かれ、
市中および周辺天領の支配が行われます。
江戸町奉行、大坂町奉行と同様に、
月番制で東西2ヶ所に奉行所が設置され、
西町奉行所、東町奉行所の両町奉行所が、
1ヶ月ごとに訴訟などを受け付けました。
「東町奉行所跡」。
NTT西日本壬生別館の北側にあります。
幕末の京都東町奉行といえば、
詳細な日記を著した岡部土佐守豊常でしょう。
岡部は嘉永6年~安政6年に東町奉行を務め、
日々の出来事を詳細に書きとめており、
安政大獄の様子や京の政治情勢の他、
日常の些細な事柄まで記されています。
東町奉行は大久保一翁、永井尚志も務め、
幕臣の出世コースのひとつでしたが、
彼らの就任期間は1~2年と短く、
政務をこなしていたとは思えませんので、
実務は与力や同心が行っていたのでしょう。
京都町奉行所は新政府により廃止されますが、
最後の東町奉行は大久保主膳正忠恕で、
旧幕府より陸軍奉行並を命じられており、
鳥羽伏見の戦いでは鳥羽街道で戦いました。
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・京都府京都市 京都西町奉行所跡
同じく京都市中の支配を行った奉行所跡。
・京都府京都市 二条城
東町奉行所の向かいは二条城。
・京都市伏見区 伏見奉行所跡
伏見市街と管轄天領を支配した奉行所跡。