慶長10年(1605)に加賀藩2代前田利長は、
隠居して富山城に移りますが、
富山城の近くに土方雄久の領地があった為、
幕府の許可を得て領地交換を持ち掛け、
能登の一部が土方領となりました。
その後、土方家は4代続きますが、
4代土方雄隆がお家騒動で改易となり、
能登の土方領は天領となります。
始め幕府の代官所が設置されていましたが、
元禄期に鳥居忠英、水野数馬に与えられ、
再び天領となって加賀藩の御預所となり、
加賀藩による委任統治が行われました。
黒島もその能登天領の一部で、
北前船の船主や船頭の居住地として栄え、
現在も当時の風情が残っており、
重要伝統的建造物群保存地区となってます。
黒島の街並み。
建物が黒瓦、格子、下見板張りで統一され、
統一感のある美しい景観を保っています。
全ての建物が当時のものではありませんが、
新築や修繕などは規定に沿うと、
7割の補助金が出るという。
「旧角海家住宅」。
角海家は廻船問屋として財を成し、
最盛期には7隻の船を持ったとされます。
この建物は明治4年に火災で焼失した後、
元通りに再建されたものでしたが、
平成19年の能登半島地震の被害で半壊。
これを機に輪島市へと寄贈されて、
平成23年に市によって復元されたもの。
内部を見学する事が出来ます。
黒島の海岸。
この黒島の浜には港が無く、
北前船を沖合いに停泊させて、
小舟にて上陸していたようです。
冬場には北前船を大坂に停泊させて、
船員らは歩いて帰って来ていたという。
このような不便な場所が栄えたのは、
曹洞宗大本山であった総持寺が関係します。
上記の角海家や森岡家が御用達を務め、
門前町の海の玄関であった事から、
全国の曹洞宗寺院の住職がやって来て、
大きな賑わいを魅せるに至りました。
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・石川県輪島市 総持寺祖院
かつての曹洞宗大本山。
・福井県永平寺町 永平寺
曹洞宗大本山のひとつ。