永昌宿は長崎街道と多良街道の追分で、
佐賀藩の代官所が置かれていました。
JR諫早駅周辺。緑の線が長崎街道で、
青い線は多良街道。
青でぼかした辺りが宿場跡です。
「岩茶屋跡」。
街道沿いにあった茶屋の跡で、
大村から永昌に入る途中にあり、
庭先にあったという亀甲紋の巨石と、
跡地を表す石標が設置されています。
街道の途中には民間の茶屋が建てられ、
旅人が休憩や腹ごしらえをしたようで、
ここはところてんが名物だったという。
岩茶屋跡を南東に進み永昌追分へ。
当時の道は所々無くなっています。
「旧長崎街道 永昌宿跡」。
ここが長崎街道と多良街道の追分で、
長崎に行くにはここから西に向かい、
東へ行くと多良街道でした。
宿場はこの追分から東側のようですが、
建物等の遺構は皆無ですし、
道さえ無くなってしまっています。
※上記の地図参照。
仕方ないので迂回して国道207号線へ。
「永昌代官所跡」。
福田外科胃腸科医院あたりにあったようで、
諫早領内の14ヶ村の御蔵入地から、
年貢徴収や領内取締りを行いました。
※その他の地域は諫早家の領地。
また道向かいには俵銭方があったようで、
積荷等50品目の通行税を徴収したという。
追分~本明川辺りまでが宿場だったようで、
駅前通りの為に遺構は全くありません。
道は川に突き当たると南に折れます。
「諫早神社」。
神亀5年(728)に聖武天皇の勅願により、
行基が石祠を祀ったのが始まりとされ、
神仏習合の神社四面宮として創建。
別当の荘厳寺も隣接していたという。
明治になって神仏分離令で諫早神社となり、
荘厳寺も廃寺となっていますが、
現在もおしめんさんと呼ばれています。
「飛び石」。
古来より飛び石が2ヶ所設置されており、
川を渡る唯一の手段だったようです。
江戸期にも橋は架けられなかったようで、
※下流には橋が架けられています。
この飛び石を渡って街道に至りました。
しかしこの飛び石は諫早大水害で流され、
当時の石は失われてしまっており、
現在の飛び石は復元されたもの。
飛び石を渡って向こう岸へ。
佐賀に至る多良街道へ続きます。
「藤瀬酒店跡」。
福澤諭吉は安政元年に長崎へ留学。
大酒飲みであった福澤は一念発起の為、
留学中は禁酒を誓っていましたが、
翌年に中津藩家老の子息奥平壱岐の奸計で、
僅か1年で帰国を命じられます。
仕方なく中津商人鉄屋惣兵衛と共に、
長崎街道を永昌追分まで帰りますが、
このまま中津に帰るのが嫌になり、
惣兵衛に荷物を預けて追分で別れ、
飛び石を渡った先にあったこの酒店で、
禁酒をやめたと大酒を呑み、
それから大坂に向かいました。
現在は酒屋はなく駐車場となっていますが、
跡地に説明板が設置されています。
初期の本宿場は諫早側にあったとされ、
江戸中期辺りから永昌に移行したようです。
その為か永昌宿には本陣が置かれず、
初期の頃より引き続き本陣、脇本陣として、
安勝寺と慶巌寺が充てられました。
「慶巌寺」。
脇本陣を務めた浄土宗の寺院で、
慶長10年(1605)に泉野から移転。
山門は四面宮別当の荘厳寺からの移設で、
箏曲「六段の調」の発祥地でもあります。
「安勝寺」。
諫早領内浄土真宗総道場の名刹で、
本陣を務めた寺院です。
幕府巡見使やシーボルト等の要人が宿泊。
「眼鏡橋(現)」。
本明川は毎年のように氾濫していた為、
何度橋を架けても流されてしまうので、
飛び石が置かれて通行していました。
そんな折に幕府巡見使が来る事となり、
飛び石を使わせるのは恥であると、
なんとか橋を架ける事ができなものかと、
永久不壊の石橋を造る事となります。
世話人達は各地の名橋を視察研究し、
長崎にある眼鏡橋を見本として新橋を設計。
領主から領民までが力を結集し、
石造りの眼鏡橋を約1年半で完成させ、
以後は流される事はありませんでした。
昭和32年の諫早大水害の際にも、
欄干の一部を破損した程度でしたが、
頑丈過ぎた故に流木を受け止め、
それが流れを堰き止めてしまい、
被害を拡大させてしまいます。
この水害の後に川幅が広げられ、
眼鏡橋は解体される事となりますが、
当時の市長らの働きかけで橋は重文に指定。
諫早公園に移築保存されるに至り、
現在は橋名そのまま鉄製の橋となりました。
橋を渡って諫早公園へ。
「眼鏡橋(旧)」。
橋が階段で中央が下がる本当の眼鏡の形は、
日本中でここだけとされています。
河井継之助が長崎へ遊学する途中、
佐賀人に眼鏡橋を自慢されていますが、
実際に眼鏡橋を見学した際には、
[ナルホト日本一ナラン]と感心。
自慢話に癖々していた河合でしたが、
本物は認めざるを得なかったようですね。
■長崎街道の宿場町
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