木之本宿は北陸街道の宿場町。
地蔵院の門前町としても栄え、
各地を行き交う旅人と参拝客で賑わい、
海産物の往来も盛んであったという。
「木之本宿跡」。
多くの商家が現存して軒を連ね、
往時の雰囲気を今に残しています。
通りには昭和初期まで中央に小川が流れ、
柳の木が植えられていたようですが、
現在は埋め立てられてしまいました。
「庄屋 竹本助六家」。
南木之本村の庄屋宅跡。
寛政、天保の巡見使の応待記録や、
家数調べ帳等が保存されているとのこと。
「富田八郎家」。
造酒屋を営む冨田酒造の母屋。
創業は天文3年(1534)とされており、
現存する酒造会社の中では5番目に古く、
滋賀県では山路酒造に次いで2番目に古い。
主要銘柄は日本酒[七本鎗]で、
名称は賤ヶ岳の七本槍に由来し、
そのロゴは北大路魯山人によるもの。
「本陣竹内五左衛門家」。
木之本宿の本陣を務めた竹内家邸。
大名宿札や宿泊記録が残っているとのこと。
21代竹内五左衛門は本陣薬局を開業し、
22代は薬剤師第一号の免状を取得。
現当主も近くで本陣薬局を営んでいます。
「札の辻」。
制札が建てられた札の辻は、
塩津街道の追分となっており、
地蔵院の門前でもあります。
「浄信寺」。
木之本地蔵院として知られる浄土教の寺院。
天武天皇の時代に地蔵菩薩像が漂着し、
金光寺を建てて祀ったのが始まりとされ、
聖武天皇の時代或いは文武天皇の時代に、
木之本に移転して来たとされています。
後に醍醐天皇の勅旨で菅原道真が参拝し、
その際に長祈山浄信寺と改称。
賤ヶ岳の戦いで羽柴秀吉の本陣となり、
この戦火で焼失しましたが、
慶長6年(1601)に豊臣秀頼が、
本堂等を再建させています。
現本堂は宝暦年間(1751~1764)の再建。
「地蔵坂」。
札の辻から延びる浄信寺の参道の坂。
この坂にも古い町家が残っており、
道は賤ヶ岳を越えて塩津に至ります。
札の辻より北側にも町家が立ち並び、
街並みはここから800m程度も続きます。
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