下関市豊北町 島戸浦

島戸浦角島対岸の本土側にある漁村で、
その名の通り角島への門戸で、
渡船が出ていた場所でした。


島戸漁港」。
小型の漁船が多く碇泊しており、
イサキ等の釣漁を行っている他に、
釣客の瀬渡しもやっています。
遠くに見えるのは角島大橋


島戸海水浴場」。
漁港のすぐ南側にある砂浜
大河の浜(おおこのはま)と呼ばれますが、
別に大きい川があるわけでもないし、
小川も注いでいません。
ましてや大河ドラマのロケ地でもなく、
何故このような名が付いたのか不明。
一説では蒙古兵の死体が漂着した事から、
蒙古の浜が転じて大河の浜になったとか。
充分に信憑性はあります。
この浜に台場が設置されていたようですが、
その痕跡は全くありません。

嘉永2年7月12日。
北浦巡視中の吉田松陰は、
附野俵石を見学した後に、
島戸にやってきました。
松陰は大河の浜の台場を見学し、
大河と云ふ處臺場宜し浦戸数二百軒と、
台場について廻浦記略に記載。
戸数200軒は結構な規模ですし、
賑わっていた漁村だったようです。

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