綴子宿は羽州街道の54番目の宿場町で、
大太鼓で知られる綴子神社例大祭が有名。
北秋田市綴子周辺。緑の線が街道筋で、
青でぼかした辺りが宿場のあった場所。
「綴子宿跡」。
古い家が皆無なのは他宿場跡と同様ですが、
跡地等の標柱が建てられているのは、
周辺ではこの綴子宿跡のみです。
写真左手が綴子神社。
「内藤湖南博士下宿跡」。
戦前を代表する東洋学者内藤湖南の下宿跡。
内藤湖南は新聞編集者を経て、
京都帝大の教授となって東洋史を担当し、
古代史や清朝史等で業績を残した人物。
ここは綴子小学校主席訓導を務めた際、
2年程下宿していた場所とのこと。
「明治天皇御巡幸小憩所」、
「宮野尹賢屋敷(尹賢塾)跡」。
豪農宮野伊兵衛の屋敷跡で、
宮野尹賢は江戸中期の当主でした。
京都に遊学して神道家玉木葦斎や、
儒学者伊藤東涯に学んで帰郷。
私塾を開いて大きな影響を与え、
領主である佐竹西家6代佐竹義村や、
7代佐竹義休も教えを請うたという。
その後の明治14年には、
明治天皇が綴子を訪れた際に、
宮野家が休憩所に利用されています。
「綴子肝煎屋敷本陣跡」。
本陣を務めた高橋八郎兵衛家宅跡で、
当主は代々肝煎も務めました。
その屋敷は残っていませんが、
樹齢400年とされる樅と桜の木が、
親方樅と根曲がり桜として残っています。
※親方樅=肝煎屋敷の樅。
根曲がり桜は変形のベニヤマザクラ。
「肝煎役所・駅馬役所跡」。
本陣跡向かいは役所跡。
高橋家が問屋場も仕切っていたようで、
こちらはその役所跡のようです。
街道はここで東側の山道へ。
もっと下手側に楽な道が出来そうですが、
何らかの理由があったのでしょうか?
■羽州街道の宿場町
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