寛永寺谷中墓地にある田安徳川家の墓所。
田安徳川家は御三卿のひとつで、
清水徳川家、一橋徳川家と同じく、
徳川将軍家に後嗣なき場合に備え、
8代将軍徳川吉宗が興させた御連枝。
※吉宗時代は田安家と一橋家の御両卿。
清水家は9代将軍徳川家重の時代。
「田安徳川家墓所」。
塀に囲まれて中には入れません。
外からの撮影なので墓碑銘も未確認。
この墓所に初代当主徳川宗武の墓、
宗武正室近衛通子の墓、
2代当主徳川治察の墓、
3代当主徳川斉匡の墓、
斉匡正室裕宮貞子の墓、
5代及び8代当主徳川慶頼の墓、
慶頼正室睦宮佳子の墓があるようです。
田安徳川家は吉宗の次男宗武を家祖とし、
御三家に次ぐ家格であったようで、
屋敷のあった北の丸の田安門に因み、
田安徳川家と呼ばれました。
※武蔵、上野、甲斐、和泉、摂津、播磨等、
計10万石の領地があった。
2代治察は家督相続後3年で死去し、
継嗣無く死去してしまい、
実弟賢丸も養子先が決定していた為、
※後の白河藩主松平定信。
以後14年も田安家は無当主状態でした。
その後に一橋家の斉匡が田家を相続し、
4代徳川斉荘(尾張家を相続)、
5代慶頼、6代徳川寿千代(早逝)と続き、
7代徳川亀之助が徳川宗家を継ぎ、
宗家16代徳川家達となっています。
8代は隠居していた慶頼が再承し、
田安藩として維新立藩。
廃藩後の明治9年に慶頼が死去した為、
慶頼の四男徳川達孝が家督を相続し、
明治17年に伯爵家となっています。
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田安徳川家家の屋敷跡。
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御三卿のひとつ一橋家の墓所。