高林寺にある岡田藩伊東家の墓所。
「伊東家祖先之墓」。
側面に雲山宗徳庵士、東山高天居士、
潔窓玄清大姉と刻まれており、
初代伊東長次、2代伊東長昌、
長次正室が合葬されているようですが、
他に関してはよくわかりません。
写真を撮り忘れましたが、
同墓域に伊東家之墓がありますので、
3代以降はそっちに入っている模様。
岡田藩初代伊東長次は豊臣秀吉の家臣で、
秀吉没後は豊臣秀頼に仕えており、
関ヶ原の戦いでは石田三成の挙兵を、
徳川家康に報じる功績を挙げますが、
その後も豊臣家に仕えました。
大坂の陣でも子の伊東長昌と共に、
豊臣方として戦っており、
大坂城の落城後は高野山に潜伏。
しかし文殊院応昌らに通報され、
その所在が幕府に知れる事となります。
しかし家康はその罪を問わず、
長次親子を秀忠に召し抱えさえ、
1万石を与えて岡田藩を立藩させます。
長次は寛永6年(1629)に死去し、
2代は父と共に戦った長昌が相続。
以後は廃藩置県まで岡田藩を存続させ、
明治17年に10代伊藤長寿が、
※寿の本来の字は異字体で卆に百と千。
子爵を授爵されて華族となっています。
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