下関市唐戸町 堂崎の渡し場跡

現在の亀山八幡宮大鳥居前には、
国道9号線が通っていますが、
往時はすぐ海岸線でした。
亀山八幡宮には海参道が設けられ、
巨大な大鳥居も建立されていますが、
そこには堂崎の渡し場があって、
九州への玄関口となっていたとのこと。
但し渡し場は大鳥居前ではなく、
大鳥居より少し東側だったようで、
そこに番所が設置されていたようです。


亀山八幡宮周辺の当時の海岸線(推測)。
青く塗った下側が当時の海で、
赤丸辺りが堂崎の渡し場と思われます。
※海岸線はこんな感じという程度で。
基本的には赤丸辺りで乗降りしてましたが、
混雑した際には大鳥居前にも船を着けて、
そこからも乗降りしていた模様。

現在は埋め立てで海岸線は遠くなっており、
そこに唐戸市場が建てられています。

唐戸市場」。
明治42年に野菜の路上市が公許され、
大正13年に阿弥陀寺町から魚市が移転し、
昭和8年に下関市唐戸魚菜市場となります。
当初は現在の八幡宮下の駐車場にあり、
後の平成13年に現在地に移転し、
観光要素を強めたものになっています。
※青果部門は昭和51年に勝山に移転。


堂崎の渡し場跡」碑。
実際の場所とはかなり違っており、
唐戸市場正面の駐車場脇にあります。
上図の赤丸付近には津口番所も置かれ、
往来の取り締まりが行われていました。
※津口番所は長府藩の番所。


聖フランシスコ・ザビエル
 下関上陸の地碑
」。
天文19年(1550)11月頃、
フランシスコ。ザビエル山口を目指し、
九州から下関に上陸しています。
下関から山口に赴いたザビエル一行は、
守護大名大内義隆に布教許可を願いますが、
この時は許されませんでした。
翌年にもう一度義隆に謁見した際は、
多くの献上品を持ち込んで義隆を喜ばせ、
布教の自由を与えられています。

九州への玄関口であった堂崎の渡しですが、
現在も門司への連絡船が出ており、
観光名所でもある為に未だ活気があります。

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 かつての大鳥居。

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