兵庫県姫路市 随願寺/榊原家墓所

随願寺姫路市にある天台宗の寺院。
高麗僧慧便開基の増位寺が前身で、
後に行基によって中興されたとされます。
当初は法相宗の寺院でしたが、
仁明天皇の命により天台宗に改宗。
嘉承2年(849)に随願寺と改称し、
宇多法皇白河法皇等も行幸したという。
室町時代には多くの衆徒を抱え、
伽羅が多数立ち並んだ大寺院でしたが、
天正元年(1573)に別所長治の攻撃を受け、
全山焼失して寺僧は避難しますが、
天正14年(1586)旧地に再興しています。


本堂」。
現在の本堂は寛文6年(1666)の再建で、
姫路藩榊原家初代榊原忠次によるもの。
堂内には狩野探幽の天井画があります。
国指定重要文化財


榊原忠次墓所唐門」。
本堂を再建した榊原忠次の墓所の正門。
唐破風を正面に向けた向き唐門です。
こちらも国指定重文。


素浩軒」。
榊原家3代当主榊原忠次の墓。
横須賀藩館林藩白河藩、姫路藩と、
各藩の藩主であった忠次は、
榊原康政の長男大須賀忠政の長男に生まれ、
父の死去により3歳で家督を相続。
横須賀藩2代藩主となっていましたが、
叔父の榊原康勝が継嗣なく死去した為、
10歳で榊原家を相続し、
館林藩3代藩主となりました。
その後に白河藩14万石を経て、
姫路藩15万石に加増転封。
藩政では新田開発治水事業を行い、
幕政では大政参与に任じられています。
墓は五輪塔素浩軒と刻まれており、
儒学者林鵞峰の撰による碑が、
その前方に建てられています。

参道を下り梅林を抜けて榊原政邦の墓所へ。

故式部大輔侍従四位下源朝臣之墓(左)」、
故夫人藤原氏之墓(右)」。
村上藩2代及び姫路藩初代(2回目)で、
柳原家6代当主の榊原政邦の墓と、
その正室藤原氏の墓。
榊原家は2度姫路藩主となっており、
正邦は村上藩から移封されて、
2度目初代姫路藩主となっています。
分家の旗本榊原勝政の孫で、
宗家5代榊原政倫の養嗣子となり、
村上藩2代藩主となりますが、
後に姫路藩への国替えが行われました。
正邦は善政を敷いたとされており、
特に民政に心を傾けたという。
22年の藩主在任の後に死去し、
遺言でこの地に葬られています。
正室の藤原氏は鍋島綱茂の娘とされ、
正邦死去の3年後に江戸で死去しますが、
遺言により正邦の隣に葬られました。

本堂に戻って右手から実相院の墓へ。

お姫さまの墓」。
正邦の側室であった実相院は、
姫路藩2代(2回目)榊原政祐の実母。
地元ではお姫さまの墓と呼ばれています。


妙法 實相院殿體心妙爽日法大姉」。
榊原政邦の側室実相院の墓。
彼女は婦人病に悩んでいたようで、
死後は同病に苦しむ人を救いたいと遺言。
このことから夫人病治癒祈願の為、
しもの病気に霊験あらたかであると、
女性らが参拝するようになったとか。

次回は開山堂池田輝政の供養塔へ。

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