嘉川市宿は西国街道の間宿。
小郡宿と山中宿の間にあって、
宿馬10疋が常備されていたようで、
天下御物送り、荷物搬送を担ったという。
幕末期には70余軒が建ち並び、
年寄と目代これを取り仕切っていました。
山口市嘉川周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが嘉川市宿のあった場所。
「嘉川市宿跡」。
宿場のあった雰囲気は感じられますが、
その家々は既に更新されたものが殆ど。
正規の宿場ではありませんでしたが、
商店が軒を連ねていたようです。
「本間源三郎君之碑」。
恵比須神社前にある本間源三郎の顕彰碑。
本間家は嘉川村で代々庄屋を勤めた家で、
源三郎はその13代目の当主。
慶応元年に庄屋となって明治維新を迎え、
嘉川村村長、郡会議員を歴任しました。
その後に県会議員となっており、
後にに副議長に就任。
明治30年には衆議院議員となっています。
地域の産業発展に尽力し、
植林や牧畜、養蚕等の新しい産業を推奨。
地域住民の暮らしを改善させました。
この碑は桂太郎の篆額で大浦兼武の撰。
「山陽道 一里塚跡」。
嘉川市宿の北詰にある嘉川一里塚の跡。
周防国嘉川村賀川市頭
但 小瀬川ゟ貳拾三里
赤間関ゟ拾三里
この辺りまでが嘉川市宿だったようです。
■西国街道の宿場町
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