保内町川之石地区はハイカラな街とのこと。
ハイカラとは何ぞやといった感じですが、
本来は西洋風で洒落ているといった意味で、
気障で目新しい格好の人物や事柄等の事。
現在はレトロでお洒落というニュアンスで、
この言葉は使われているようです。
そういう訳で川之石地区には、
明治大正期の建物が残っている模様。
江戸時代の川之石浦は宇和島藩領で、
藩の代官所や蔵屋敷が置かれ、
盛んに栽培された蝋燭の原料を集積し、
商港として発展していたという。
但し川之石の最盛期は明治以降の事で、
鉱山と紡績によって近代化し、
県下最初の国立銀行も置かれる等、
非常に発展と遂げたようです。
「美名瀬橋からの風景」。
美名瀬橋は宮内川河口に架かる橋。
右に旧東洋紡績赤レンガ倉庫、
左に青石で積まれた護岸を望み、
透明度の高い川の水がキラキラと輝き、
素晴らしい景色となっています。
「旧川之石浦庄屋二宮家住宅石塀」。
川之石浦の庄屋を務めた二宮家の外塀跡。
大小様々な青石を鋭角で組み合わせ、
矢筈積に近い造りとなっています。
今はこのような積み方は出来ないらしい。
青石とは緑泥片岩の事で、
外観的美しさから銘石とされており、
庭石に珍重されてきた石ですが、
八幡浜市ではこれが豊富にあるようで、
普通に石垣等に使われてきたという。
みかんの段々畑にも使用されており、
その豊富さが伺えます。
「愛媛蚕種株式会社」。
明治17年創業の蚕種会社。
蚕の卵を生産する会社で、
現在も操業を続けているようです。
狭い路地で全体写真が撮れませんが、
その建物は非常に素晴らしい。
ハイカラな街並みとのことですが、
メインの通りは古い港町のような雰囲気。
「旧白石和太郎邸洋館」。
やっとハイカラな建物が現れました。
これはかなり良い感じ。
白石家は酒造業を生業としていましたが、
明治期の当主白石和太郎が鉱山経営を始め、
更に紡績工場も経営して、
巨大な財を成したようです。
建物は左右対称の疑洋風のもので、
青み掛かった色が特に素晴らしい。
「旧宇都宮壮十郎邸(元 二宮医院)」。
隣は宇都宮壮十郎の旧邸で、
こちらも鉱山経営で財を成した人物。
後に二宮病院となっていたようで、
和風なのか洋風なのかよくわからない建物。
これぞハイカラって感じでしょう。
街並みと言うからには、
連続した建物群を想像してしまい、
そういう面では物足りなさはありますが、
個々の建物は粒ぞろいです。
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