山口県山口市 高杉小忠太邸跡他

高杉晋作はその死の直前に、
両親の為に山口に屋敷を建てたとされ、
高杉小忠太ら両親や兄弟、
妻のや長男高杉東一が越して来て、
明治10年まで住んでいたという。


高杉小忠太邸跡」。
山口市白石一丁目にある高杉邸跡。
現在は取り壊されて別の住宅が建っており、
道筋以外に面影はありません。
なんでも現在の建物の裏6軒程の広さが、
高杉家の敷地だったようですから、
結構なお屋敷だったと思われます。
小忠太は最終的に山口藩権大参事となり、
大きな出世を遂げていますので、
それ位のお屋敷は当たり前でしょうか?


山田顕義寄付金の碑」。
小忠太邸跡の敷地脇にある崩れた石碑。
明治初年に周辺の道を改修した際、
山田顕義金弐拾園を寄附したようで、
それを記念して建てられた碑という。

山田の屋敷は高杉邸の向かいでした。

山田顕義邸跡」。
現在も大きなお屋敷が建っていますが、
山田が住んでいた当時の屋敷ではない模様。
但し敷地は似たようなものでしょう。


山田顕義邸跡先生旧宅跡」。
山田邸跡の横の坂を登ると、
日大が建てた旧宅跡碑がありました。
最近色々と世間を騒がせていますが、
山田も草葉の陰で泣いているのでは?
山田顕義創設の由緒ある大学ですので、
良い風に改革して欲しいものです。


毛利登人邸跡」。
坂の西側は毛利登人邸跡とのこと。
但し高杉邸や山田邸とは時期が違い、
彼らが越して来た頃には、
毛利登人はこの世にいませんでした。
こちらも大きなお屋敷が建っていますが、
当時の建物ではないでしょう。

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