「萩藩新地会所」の説明板の横に、
「高杉東行療養の地 220m」とあります。
案内に従って細道を進んでみます。
こういう案内は結構迷ったりしますが、
意外に上手な案内がされていました。
あれ?どっちだろう?と思うだろう場所に、
案内板があると非常に助かります。
高架や階段がありますので、
車ではこちらからは行けません。
そして到着。
「高杉東行療養之地」。
小倉戦争の最中に労咳を悪化させた高杉晋作は、
この地に移り住んで療養に専念します。
ここにあった空家を刀を売って買ったとも、
※安芸国佐伯荘藤原貞安か?
野村望東尼の住居として建てられたともされ、
とにかくここにあった一軒家で静養しました。
藩は晋作の為に御典医を送ったりしており、
療養地を愛刀を売ってまで買う必要は、
なかったような気がします。
「売刀買山住・・・」という晋作の詩から、
晋作は愛刀を売ったとされていますが、
これは詩作のうえの盛った話かもしれません。
晋作の刀が現在も行方不明な事が、
刀を売って購入した説が通説になっていますが、
実際はどうだったのでしょうね。
とにかくこの一軒家を「東行庵」若しくは、
「捫虱処」と名付けていたようで、
おうのと望東尼の介護を受けて療養。
ですが、結局ここを引き払い、
終焉の地である林算九郎の離屋に移っています。
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勝ち組になるはずが・・・。