慶応3年3月17日。
天花に置かれた長州藩の火薬庫が爆発し、
作業に従事した16人が爆死しました。
朝四ッ半時(午前11頃)に爆発して炎上し、
九ッ時(正午頃)に鎮火したという。
施設は水車等を含め全て焼失したようです。
その犠牲者16人の墓が、
龍福寺の墓地に現存しています。
「山門」。
龍福寺は建永年間(1206‐1207)の創建で、
大内家3代大内満盛の開基として、
臨済宗の寺院として山口市白石に建てられ、
はじめは瑞雲寺と称したようです。
13代大内教弘の頃に曹洞宗に改宗しており、
龍福寺と改められたようですが、
16代大内義隆が陶晴賢に討たれた際、
その兵火で焼失してしまいました。
その後に毛利輝元が再興して、
大内氏館跡の現在地に移転。
義隆の菩提を弔ったとされています。
後の明治14年に龍福寺は火災で焼失。
本堂等の殆どを焼失していますが、
この山門は焼失を免れました。
「大内義隆卿主従之供養塔」。
境内に建てられた宝篋印塔。
平成12年の大内義隆没後450年を記念し、
大寧寺の義隆の墓を原寸大に複製し、
ここに建立したものとのこと。
「釈迦堂(本堂)」。
上記のように本堂は火災で焼失した為、
明治16年に氷上の興隆寺釈迦堂を移築。
この釈迦堂は文明11年(1479)建立とされ、
檜皮葺きであったようですが、
移築の際に瓦葺きに変えられています。
後の平成18年から復元解体修理工事で、
本来の檜皮葺きに復旧されており、
改築されていた間仕切りや、
須弥壇等が本来の姿に戻されたようです。
龍福寺墓地は本堂の西側。
墓地の南側に犠牲者の墓があります。
「天花爆発遭難者墓(左)」、
右側前列左より、
「釋勇猛居士位」、
「振武隊芥川精一藤原宗信墓」、
「鋭武隊森永金吾 墓」、
後列左より、
「南園隊河本和作 墓」、
「振武隊中村幸之助源政〇墓」、
「鋭武隊柳川市太郎 墓」、
「振武隊神川熊太郎清行墓」。
天花火薬庫爆発事故の被害者の墓と、
振武隊、南園隊、鋭武隊の隊士の墓。
火薬庫で爆死した16人は、
町人では桑原屋平次郎、
西村屋伊之熊、西村屋十助、
高津屋辰蔵、河野屋市熊、
吉田屋吉蔵、
百姓では桜畠村の伊三郎、
黒川村の勝蔵、大島郡の佐次郎、忠助、
虎蔵、又吉、新蔵、藤兵衛、伊助、亀蔵。
火薬庫の爆発という悲惨な状況から、
被害者の遺体は爆散していたようで、
個人の特定が出来なかったという。
今の様にDNA鑑定があるわけもなく、
爆発後の火災も相まって、
彼らは合葬された模様です。
藩は遺族に米5俵が支給していますが、
この事故の原因は判明していません。
同年に藩内で火薬庫火災が相いだ為、
幕府の破壊工作という説もありました。
幕府による長州破壊工作
また隣には諸隊士の墓が建っていますが、
これは幕長戦争や戊辰戦争での戦死者や、
戦病死者のようです。
■関連記事■
・山口県山口市 朝日山招魂社
八幡隊、禁門の変等の殉難者の招魂場。
・山口県山口市 南園隊駐屯地跡
諸隊の駐屯地跡のひとつ。
・山口県山口市 脱隊諸士招魂碑ほか
長州藩の刑場跡。