周南市戸田市東の西国街道沿いに、
戊辰戦争凱旋記念碑が建っています。
「戊辰戦争凱旋記念碑」。
奥州に出征した寄組堅田家の家臣らが、
無事凱旋出来たのは氏神様のお陰と、
これを感謝して建立したもので、
凱旋した23名の名が刻まれています。
「宮島様」。
凱旋記念碑の向かいにある祠で、
貯水池の様な場所に恵比寿神が祀られ、
玉垣と鳥居が設置されています。
宮島様と呼ばれる所以は謎で、
水上に柱を立てて厳島神社のようなので、
そう呼ばれているではないかとのこと。
御国廻御行程記では弁財天となっており、
現在は何故恵比寿神なのかも謎。
「御国廻御行程記 戸田 矢地(一部)」。
確かに弁財天となっています。
凱旋記念碑の北側に御旅所があり、
その片隅には祠がありますが、
隣に男があぐらをかいている様な岩が・・。
いわくあり気ですが説明もなく、
調べてもわかりませんでした。
「桜田八幡宮」。
北側に進むと桜田八幡宮。
凱旋兵らに御利益があった氏神様です。
縁起によると神功皇后が三韓征伐の帰路、
周防灘で大時化に遭った為に、
四郎谷港(白髪の浦)に避難しますが、
幼少の皇子(応神天皇)が高熱を発しました。
皇后は湯野温泉の湯を飲ませれば、
皇子の熱は退散すると教えられた為、
その湯を皇子に飲ませると熱は下がり、
無事に帰る事が出来たという。
その400年後に四郎谷に八幡神が祀られ、
後に大内義興が桜田山に遷座して、
現在に至るとされています。
境内には兒玉源太郎の碑がありますが、
日清戦争のものなので割愛しました。
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寄組堅田家家臣の招魂場。