宇土市立岡町にある立岡共有墓地の奥に、
安徳天皇の墓とされる陵墓があります。
壇ノ浦に入水した安徳天皇は遺骸は、
イワシ漁の網に掛かって引き上げられ、
紅石山の麓に埋葬されたとされており、
これが現在の阿弥陀寺陵となっています。
ですが各地に生存説が残っており、
安徳天皇の御陵とされる陵墓が、
参考地や伝承地として存在。
宇土市にある花園陵墓参考地も、
安徳天皇の御陵と伝わっています。
「花園陵墓参考地」。
明治19年に組合せ式家形石棺が発見され、
石棺の内面に菊花紋があることから
地元に伝わる安徳天皇伝説を受けて、
宮内省から御陵墓伝説地に指定され、
現在は陵墓参考地となった古墳。
学術的には晩免古墳とも呼ばれており、
5世紀後半頃の築造とのこと。
壇ノ浦の戦いが12世紀後半なので、
安徳天皇とは時代が違いますが、
菊花紋という天皇家の御紋から、
安徳天皇と結び付けたのでしょう。
■関連記事■
・下関市阿弥陀寺町 赤間神宮
宮内省治定の安徳天皇陵。
・下関市豊田町 安徳天皇西市御陵墓参考地
同じく安徳天皇の陵墓参考地。
・福岡県北九州市 隠蓑安徳天皇御陵
安徳天皇の陵墓と伝承される墓。