聖徳寺は銭座町にある浄土宗寺院。
現在は埋め立てられていますが、
海に突き出した丘陵の先端に建てられ、
長崎湾を見渡せた絶景の地でした。
「聖徳寺」。
寛永3年(1626)に玄蹟上人が開山し、
聖徳太子作とされる阿弥陀如来像を、
その本尊とした事が寺名の由来。
「本堂」。
本堂は原爆によって崩壊しており、
現在の本堂は昭和46年の再建。
長崎では多くの隠れキリシタンが潜伏し、
その隠れ蓑として聖徳寺を檀家寺とし、
密かに信仰を守っていました。
しかし大浦天主堂に浦上村の信徒が訪問し、
プティジャン神父に面会して以降、
信仰を隠す事に疑問を持つようになります。
そして慶応3年に茂吉という者が死んだ際、
本来であれば聖徳寺にその旨を届け出て、
死亡を確認してもらうと共に、
経をあげてもらう事を通例としましたが、
村人らは僧侶無しで勝手に葬儀を行い、
そのまま勝手に埋葬してしまいます。
この件で長崎奉行所が動く事となって、
代表で高木仙右衛門らが呼び出されますが、
彼らはその信仰を堂々と表明した為、
驚いた奉行所側は彼らを宥めて一旦返し、
幕府にその旨を報告。
これが浦上四番崩れに発展しています。
その後に聖徳寺の檀家は一斉摘発。
後に放免されてた後も帰っては来ず、
多くの檀家を失う事となりました。
浦上信徒のその後の苦難は、
同情するべき事ではありますが、
聖徳寺からしてみれば、
200年以上も宗徒と思っていたのに、
実はキリシタンでしたってのは、
なんだかこれも同情に値します。
もちろんこれは双方悪いのではなく、
当時の法が悪いのですが・・・。
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