西寒多神社は豊後国一宮。
神功皇后が三韓征伐からの帰途、
西寒多山(本宮山)に臨幸したとされ、
その山頂に白旗を立てたという。
人々はこれを籬垣を結んで拝み、
後の応神天皇9年(278)に武内宿禰が、
山頂に祠を建てたのが始まりという。
延喜式神名帳で豊後唯一の大社とされ、
また豊後国一宮としても崇敬。
同じく一宮を称した柞原八幡宮と、
近世まで論争があったようですが、
現在は双方が一宮となっています。
「万年橋」。
万年橋は寒田川(みそぎ川)に架かる橋。
石造単アーチの太鼓橋で、
文久2年に寒田村の庄屋らが発起し、
大野郡柴北村の石工後藤郷兵衛らが、
同年に完成させたもの。
ここを渡れば神域です。
「境内」。
万年橋から真っ直ぐ伸びる参道。
境内はそれ程広くはありません。
主祭神は西寒多大神(天照皇大御神)、
月読尊、天忍穂耳命の三神で、
相殿に応神天皇、神功皇后、武内宿禰。
「鬼の歯形岩」。
昔々本宮山には恐しい鬼が住んでおり、
村人に悪さばかりしていました。
ある時、巫女の親子がやってきて、
本宮山で毎日お祀りをしていると、
鬼は親子を取って喰おうとしました。
これに母親が霊山から本宮山まで、
一晩で橋をかけられたら、
喜んで食べられましょうと約束。
ところが無理だと思われた橋を、
鬼達は一晩で完成させかけた為、
あわてた親子は鶏の鳴きマネをします。
すると鬼達は朝が来たと悔しがり、
残念がって歯で石を噛んだという。
そして鬼達はどこかへ行ってしまい、
この歯型石だけが残ったとのこと。
「拝殿」。
拝殿には四つの鈴が取り付けられており、
朱・緑・白・紫の紐が垂らされています。
これは赤龍、青龍、白龍、黒龍に繋がり、
赤龍は家内安全諸願成就厄除け、
青龍は金運開運、
白龍は縁結び安産子宝諸願必勝、
黒龍は病気平癒健康長寿厄除けと、
それぞれご利益があるとのこと。
「神庫」。
本殿右側に立つ神庫。
明治19年の造営で校倉入母屋造、
桟瓦葺高床式の建物です。
江戸時代には延岡藩の信仰篤く、
藩主家の牧野家及び内藤家より庇護。
幾度も神殿の改修修繕が行われており、
藩士による燈篭の寄進もありました。
明治4年の社格制度で国幣中社に、
昭和20年には別表神社となり、
現在に至っているようです。
■関連記事■
・大分県大分市 柞原八幡宮
もうひとつの豊後一宮。
・大分県宇佐市 宇佐神宮
豊前国一宮。
・宮崎県児湯郡 都農神社
日向国一宮。