浄土寺は大分市にある浄土宗の寺院。
文亀元年(1501)に大友親治により創建され、
満誉覚了上人を開山としています。
「表門」。
明治期建築の四脚門。
国指定登録有形文化財。
「本堂」。
本堂は入母屋造本瓦葺の七間堂。
天正14年(1586)の島津家の豊後侵攻や、
江戸中期の大火で堂宇は焼失しており、
現在の本堂は嘉永2年に再建されたもの。
こちらも国指定登録有形文化財。
「六角三重塔」。
歴史的建造物ではありませんが、
非常に目立つ建物。
内部は納骨堂となっています。
「一伯公廟」。
越前松平家2代松平忠直(一伯)の霊廟。
江戸後期に建造されたもので、
忠直とお蘭の方の墓碑が入っています。
忠直は結城秀康の長男に生まれ、
父秀康の死去に伴い家督を相続。
大坂の陣では真田勢と激戦を繰り広げ、
冬の陣では真田丸に苦戦したものの、
夏の陣では配下の西尾宗次が、
大将真田信繁を討ち取っており、
忠直自身も首級を挙げています。
しかし戦後の恩賞に不満を抱き、
またその後の待遇も悪かった為、
酒色に耽って藩政を疎かにし、
乱行を繰り返した末に参勤も拒否。
これらの悪行に将軍徳川秀忠は怒り、
隠居謹慎及び西国配流の処分が下され、
府内藩へ配流されました。
配流後は賄料5000石を与えられ、
神仏へ帰依して余生を送っており、
27年の謹慎生活の末に死去。
廟に葬られている妾だったお蘭の方は、
寛永元年(1624)に死去しており、
浄土寺に葬った事から浄土寺に帰依し、
慶安3年(1650)に忠直が死去すると、
浄土寺で荼毘にふされています。
遺骨は浄土寺を含む各所に分骨されますが、
廟内の墓碑が逆修墓である事から、
忠直は浄土寺への埋葬を希望したようです。
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