広島県福山市 妙政寺/水野勝俊墓所

妙政寺は福山市にある日蓮宗寺院で、
天正年間(1573-1592)に創建されました。
後に水野家の移封に伴い現地に移転。
福山藩2代藩主水野勝俊の娘寿姫が、
病疾の全快を祈祷したところ、
その御利益で病が治ったとされ、
また雨乞い等でも霊験を発揮した為、
勝俊は日蓮宗に改宗して大檀那となり、
絶大なる外護を得たとされます。


本堂」。
広い境内に豪壮な本堂
古いもののようですが建築年は不明。
石灯篭宮本武蔵の所縁とされますが、
武蔵が奉納したものでは?
微妙な言い回しなのでよくわかりません。
本堂右側に位牌堂があったようですが、
訪問時は気が付きませんでした。

妙政寺の墓地は北側にあります。

妙政寺墓地」。
妙政寺西側の通路を北に進むと広い墓地。
水野勝俊の墓所へ真っ直ぐ参道が伸び、
その左右には石燈籠が連なってます。


信解院殿前四品作刕太守理圓日證大居士」。
長生院殿花巻周寶清大姉(左)」。
水野家福山藩2代藩主水野勝俊の墓と
勝俊の正室於若姫の墓。
勝俊は水野勝成の長男に生まれ、
勝成と共に大坂の陣に参陣し、
夏の陣で特に戦功を挙げたとされます。
父が福山藩の入封されると鞆城に居住。
島原の乱では原城一番乗りの戦功を挙げ、
寛永16年(1639)に父の隠居で家督を相続。
父の放浪にも同行していた為か、
領民への気遣いのある藩主だったとされ、
また能楽俳諧を好む文化人であり、
更に倹約家でもあったようで、
名君であったとされています。
隣の於若姫の墓は近年建立されたもので、
遺骨が多磨霊園から改葬された際に、
位牌と共に造られたとのこと。

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