京都府京都市 東本願寺

東本願寺浄土真宗大谷派本山
正式名称は[真宗本廟]ですが、
東本願寺の通称で呼ばれており、
また[お東さん]の愛称もあるようです。
真宗本願寺派西本願寺世界遺産ですが、
この東本願寺は世界遺産でないのは、
江戸期に4回も火災に遭っており、
明治期に再建されたからとのこと。

上記のように4回も火災に見舞われた為、
[火出し本願寺]とも揶揄されたようですが、
殆どが[もらい火]だったようで、
火元となったのは1度だけのようです。
昔も世間は勝手ですね。


御影堂門」。
境内東側中央に聳える御影堂門
明治44年(1911)の再建されたもので、
入母屋造本瓦葺三門形式二重門
[真宗本廟]の扁額を掲げる東本願寺の正門で、
京都三大門(他に東福寺、知恩院)のひとつ。
国指定重要文化財


御影堂」。
境内中心に位置する御影堂
宗祖親鸞の坐像[御真影]を安置しており、
堂内の内陣と外陣に敷かれたは、
全部で927畳もあるとのこと。
東本願寺の境内で一番巨大な建物で、
建築面積は東大寺大仏殿を越える規模ですが、
本堂は隣の阿弥陀堂です。
現在のものは明治28年の再建で、
こちらも国指定重要文化財。

一度出て阿弥陀堂門へ。

阿弥陀堂門」。
阿弥陀堂前にある阿弥陀堂門。
御影堂門と同じく明治44年(1911)の再建。
切妻造檜皮葺四脚門唐破風付き。
江戸中期に[唐門]の名で建立されたという。
国指定重要文化財。


阿弥陀堂」。
本尊阿弥陀如来立像を安置する本堂。
御影堂と同じく明治28年の再建です。
隣の御影堂の巨大さに紛れていますが、
実はこちらも日本屈指の木造建築物。
国指定重要文化財です。

文久3年5月11日。
14代将軍徳川家茂大坂から京都へ向かい、
宿所の二条城へ向かわずに渉成園に立ち寄り、
その後に東本願寺に入りました。
前年に造営された東照宮御別堂に拝礼し、
阿弥陀堂と御影堂にも参拝。
茶菓子の接待を受けて二条城に帰りました。
将軍後見職であった一橋慶喜は、
文久3年1月5日~4月23日、
同年11月26日~12月21日に、
東本願寺や渉成園を宿所として利用。
しかし翌元治元年に禁門の変が勃発し、
本願寺の伽羅は消失してしまいます。
孝明天皇は見舞として白銀30枚を下賜し、
幕府も5万両の寄進を行っていますが、
阿弥陀堂と御影堂の両堂の完成は、
明治28年になってからでした。

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