和宮親子内親王は仁孝天皇の第8皇女で、
母は羽林家橋本家当主橋本実久の娘経子。
経子は仁孝天皇の寵愛を受け、
皇子胤宮を出産しますが夭折し、
和宮の出産は仁孝天皇の崩御後でした。
橋本家は清華家西園寺家の分家で、
羽林家に列する家柄。
18代橋本実麗は和宮降嫁に反対しますが、
幕府の要求に和宮は降嫁を了承。
その際の五ヶ条の条件の中に、
用事の際に実麗を下向させる旨を入れており、
叔父と姪の信頼の度合いが伺えます。
19代橋本実梁は東海道鎮撫総督を務め、
江戸城開城の際は勅使を務めました。
「皇女和宮生誕の地(橋本邸跡)」。
橋本邸は御所の東側にあり、
森の中に標柱が設置されてあります。
橋本家の家禄は200石で貧しく、
米50石と銀20枚を下賜されていますが、
それでも不充分だったようで、
衣服の大半が仕立て直しであったという。
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