京都府京都市 清浄華院

清浄華院浄土宗大本山寺院。
貞観2年(860)に慈覚大師円仁が、
清和天皇の勅願で宮中に建立したとされ、
当初は円密浄戒四宗兼学だったという。
後に浄土宗の開祖法然上人が、
後白河天皇後鳥羽天皇高倉天皇と、
三人の天皇を授戒した功績により、
清浄華院が下賜される事となって、
以後は浄土宗寺院となったとされます。


総門」。
寺町通沿いにある薬医門で、
正確な再建時期は不明ですが、
寛政年間(178-1801)か明治期とのこと。


勅使門」。
昭和9年再建の勅使門
勅使皇族の参詣に使用される門ですが、
背後が老人ホームになってます。


大殿(御影堂)」。
明治44年再建の大殿(御影堂)。
本尊の法然上人御影を安置しています。
本来は西向きに建てられていましたが、
再建の際に南向きになったとのこと。


阿弥陀堂」。
阿弥陀如来像を安置する阿弥陀堂は、
清浄華院の塔頭であった旧松林院本堂。
現在の建物は大正天皇御大典式典の際、
二条城に設けられた饗応所を下賜され、
松林院の本堂として移築したもの。
松林院は中世より続く塔頭で、
公家の檀家が多く別格の塔頭でしたが、
平成15年に清浄華院に統合されています。
※微妙な位置からの撮影は逆光だった為。


松林院旧跡
 松平容保公寄宿の地
」碑。
松林院があった事を示す跡碑。
文久3年の八月十八日の政変以後、
松平容保は御所近くにいるよう命じられ、
文久3年12月から翌年5月まで、
ここにあった松林院に逗留しています。
新選組も容保の呼び出しに応じ、
松林院に足を運んでいたようで、
容保が松林院を出た後も、
清浄華院に会津藩兵が寄宿しており、
山本覚馬もその中にいたとのこと。


大方丈」。
木造阿弥陀三尊像を安置する大方丈
この三尊像は旧阿弥陀堂の本尊で、
中尊(中央)の阿弥陀如来坐像は、
恵心僧都源信の作と伝えられています。

江戸時代の清浄華院は御所に近い事から、
上洛した幕府要人大名の宿所となり、
が渡来した際は宿舎にもなりました。
幕末期には上記の会津藩の他にも、
御所警備を担当した熊本藩徳島藩
薩摩藩等が宿舎としており、
明治維新前後は薩摩藩が陣所としています。
伽羅は後の失火で消失しており、
古い建物は少ないようですが、
現在も浄土宗の大本山として健在。
京都四ヶ本山のひとつに列しています。
※他は知恩院百万遍知恩寺金戒光明寺

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 浄土宗の総本山。
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 浄土宗捨世派の本山。

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