宮崎県延岡市 南洲翁寓居跡(再訪)

明治10年8月15日。
和田越の戦いに敗れた西郷軍は、
長井村まで退却し児玉熊四郎宅に宿陣。
程近くに瓊瓊杵尊の御陵があり、
※北川陵墓参考地。
官軍が皇祖御陵に砲撃しないであろうと、
ここが選ばれたとされています。


南州翁寓居跡」。
西郷が宿陣した児玉熊四郎宅跡で、
[西郷隆盛宿陣跡資料館]となっています。
ここには10年前に訪問していますが、
宮崎県延岡市 南洲翁寓居跡
その時は休館日でした。
和田越から5km程の場所にあり、
官軍も速やかに長井村を包囲。
翌8月16日に西郷は軍の解散を宣言し、
自らの軍服書類類を焼却しました。
解兵の際には、
 我軍の窮迫、此に至る。今日の策は
 唯一死を奮つて決戦するにあるのみ。
 此際諸隊にして降らんとするものは降り、
 死せんとするものは死し、士の卒となり、
 卒の士となる。唯其の欲する所に任ぜよ。

と命じた為に諸兵らは相次いで投降。
それでも600人程度が残ったとされ、
残った精鋭で可愛岳突破を強行します。
西郷軍は可愛岳の頂上まで登り、
官軍の不意を突いて包囲網を突破。
山岳部を越えて鹿児島に帰還しています。


明治十年激戦地」。
近隣にある跡碑ですが、
ここで激戦は無かった模様。
激戦があったのは和田越ですね。
揮毫は最後の延岡藩主内藤政挙

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