和田越決戦」タグアーカイブ

宮崎県延岡市 山縣有朋中将陣頭指揮の地

西郷軍は8月15日早朝に和田越えに布陣し、
初めて自ら陣頭に立って指揮を行い、
北上する政府軍を迎え討ちますが、
対する政府軍参軍山県有朋中将も、
樫山山頂に陣を置いて全軍を指揮しました。
和田越決戦はまさに両陣営の総大将が、
直接激突した決戦となっています。


山縣有朋中将陣頭指揮の地」。
樫山町交差点続きを読む

宮崎県延岡市 和田越決戦之地

和田越えは延岡市街北側にある標高42mの
西南戦争での激戦地として知られます。


和田越決戦之地」碑。
記念碑の建てられた古戦場跡。
8月15日早朝に西郷隆盛は諸将を従えて、
ここで督戦をしたとされており、
新政府軍を指揮する山縣有朋も、
樫山でこれを督戦したとされています。… 続きを読む

宮崎県延岡市 南洲翁寓居跡(再訪)

明治10年8月15日。
和田越の戦いに敗れた西郷軍は、
長井村まで退却し児玉熊四郎宅に宿陣。
程近くに瓊瓊杵尊の御陵があり、
※北川陵墓参考地。
官軍が皇祖御陵に砲撃しないであろうと、
ここが選ばれたとされています。


南州翁寓居跡」。
西郷が宿陣した児玉熊四郎宅跡で、
[… 続きを読む