正光寺は唐人町にある浄土宗寺院。
慶長12年(1607)に見貞和尚により、
荒津山に建立されていましたが、
貞享元年(1687)に現在地に移転しています。
「本堂」。
境内には立江地蔵や有情観音のお堂があり、
立江地蔵は近くの浜に流れ着いたもので、
飢饉等に苦しむ人々が祈りを捧げたとされ、
有情観音は水子や事故で亡くなった人々を、
供養する為に建立されたとのこと。
正光寺の墓地に中村家の墓所があります。
「中村家之墓」。
旧福岡藩士中村家の墓所で、
中村三兄弟が合祀されています。
※右側は用六、円太、恒次郎の合祀碑。
三兄弟は福岡藩士中村兵助の子らで、
長男中村用六が家督を継いでいますが、
弟円太らと共に参勤交代中止を建白し、
これが勘気に触れて禁固されました。
維新後に登用されて権大参事となりますが、
明治6年の筑前竹槍一揆で鎮撫総督となり、
一揆勢を県庁に侵入させた不始末を苦に、
その責任をとって切腹しています。
次男中村円太は過激な勤皇志士で、
月形洗蔵らと共に筑前勤皇党として活動。
脱藩して高杉晋作の亡命、薩長同盟、
五卿の太宰府移転等で周旋を行いました。
しかし元治2年に突如博多に現れた為、
同志らに危険行為と藩外退去を即され、
これを拒否した為に同志らが監禁。
切腹を迫られますがこれも拒否した為、
同志らに惨殺されています。
三男中村常次郎は長兄用六の養子となり、
中村家の嫡子となっていましたが、
元治元年に次兄円太と共に脱藩し、
長州藩に逃れて三条実美に随従。
禁門の変では忠勇隊に所属して参戦し、
鷹司邸前の戦闘で討死しています。
福岡藩尊攘派は乙丑の獄で壊滅しており、
多くの志士が命を落としました。
三兄弟はその犠牲にはなってはいませんが、
それぞれ悲劇的な最後を迎えいます。
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