萬行寺は博多にある真宗本願寺派の寺院。
享禄2年(1529)に本願寺第8世蓮如の命で、
七里性空を開基として創建されました。
元々は普賢堂町にありましたが、
弘治3年(1557)に馬場町(現冷泉町)に移転し、
更に寛文5年(1665)に現在地に移転。
幕末には名僧七里恒順が住職となり、
慶応3年に私塾甘露窟(後龍華教校)を再興。
500人を超える学生を教育しており、
宗教ジャーナリスト真溪涙骨らを輩出し、
維新後は廃仏毀釈に立ち向かい、
福沢諭吉とも討論しています。
「山門」。
山門に付けられた巨大な寺紋は「沢瀉紋」。
一般的な真宗本願寺派の寺院は、
「下がり藤」の寺紋を使用していますが、
5世住職正海が石山合戦の際、
物資等を毛利家と共に輸送した功により、
毛利家より与えられたものという。
山門を入って右側に名娼明月の墓があります。
「名娼明月墓」。
柳町遊郭の遊女明月の墓。
明月は博多三名娼のひとりで、
※他の2人は小女郎、染衣。
一番人気があったとされています。
明月の本名はお秋といったようで、
騙されて柳町遊郭に売られたという。
明月は人気の遊女となってからも、
殺された許婚の弔いの為、
毎晩萬行寺に参っていましたが、
行けない日も寺までの歩数を歩き、
賽銭をお寺に送っていました。
最終的に明月は病気で死去し、
信仰する萬行寺に葬られていますが、
その49日後に墓から蓮の花が咲きます。
不思議に思った住職が墓を掘り返すと、
明月の舌から生えていたという。
蓮の花は泥の中で美しい花を咲かせる為、
「汚泥不染の徳」があるとされ、
寺ではその蓮を「口蓮華」と呼んで大切にし、
現在も季節には花を咲かせているとのこと。
毎年5月15日の法要の際には、
その「口蓮華」が拝観出来るようです。
「本堂」。
本堂は日中解放されており、
法要時以外は気軽に入って参拝出来ます。
右手前の碑は七里恒順の言葉で、
「お念仏しなされや」と刻まれており、
法を聞くなら博多の萬行寺と云われ、
説法は非常に人気があったようです。
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