幕末は遠い昔。
明治16~20年の事を鹿鳴館時代という。
欧米諸国に文明国であるとアピールする為、
政府は鹿鳴館という洋館を建てて、
迎賓や舞踏会を行った時代がありました。
洋館を造って舞踏会して文明国ですよって、
なんとも浅はかとも思えますが、
鹿鳴館政策を推進したのは井上馨でした。
散って逝った志士達がこの鹿鳴館を
草葉の陰でどう思ったのでしょうか?
高杉晋作が生きていたなら・・。
う~ん。意外と楽しんでそうな気もする。
おうのを連れてバカ騒ぎしてたりして。
・・いや、案外本妻の雅を連れてくるかも?
なんなら浮名を流していたかも・・・。
ああ・・居なくてよかった(笑)。
さて洋館を造って舞踏会を開いても、
当時の女性が西洋のマナーを知る由もない。
外国人の目にも滑稽に写ったことでしょう。
仕方ないのでマナーを身に付けた芸妓を、
こっそり派遣したりする。
要はサクラですね。
そんな中で欧米への留学や、
渡航経験のある本物のご婦人方や、
好奇心旺盛で才能あるご婦人方は、
西洋風の流儀を身に付けていました。
井上武子。
井上馨夫人。
夫が推進した舞踏会をリードします。
西洋マナーは井上の欧州視察に同行し、
その際に身に付けました。
目の感じや表情が武井咲に似てるかな?
鍋島榮子。
旧佐賀藩主鍋島直大夫人。
直大が伊国公使時代に結婚して、
ローマ社交界デビュー。
帰国後は外国での経験を生かし、
鹿鳴館の華となります。
日本赤十字社の会長にも就任しており、
日清日露戦争の負傷者看護に貢献しました。
松雪泰子に似てると思いませんか?
戸田極子。
旧大垣藩主戸田氏共夫人で、
岩倉具視の次女。
父に似なくて良かったですね。
でも鼻はそっくりだったりします。
伊藤博文のスキャンダルもありますが、
真相は不明ながら伊藤は女の敵ですから・・
幼くして英語やダンスを教育されており、
美女の極子は鹿鳴館で注目を集めています。
目元や鼻筋が香椎由宇に似てるかな?
渋沢兼子。
渋沢栄一夫人。
明治に入って没落した商家の出身。
生活の為に渋沢の妾になりますが、
後妻として迎えられています。
大実業家の妻として夫を支え、
慈善事業を推進するなど、
社会慈善事業に大きく貢献しました。
竹内結子か高橋ひとみって感じですね。
伊藤梅子。
伊藤博文夫人。初代ファーストレディ。
下関で伊藤を助けた縁で結婚しますが、
伊藤は女に関してはクズです(笑)。
気苦労は多かったでしょうが、
そんなことは微塵も感じさせず、
元勲の妻として気丈に振る舞いました。
有森裕子に似てる?
松雪泰子にも見えないこともないかも?
陸奥亮子。
陸奥宗光夫人。
横顔と正面の写真が別人のようなこの人。
奇跡の一枚とされることもありますが、
実際にも美人と評判だったようで、
極子と共に鹿鳴館の華と呼ばれています。
この写真でいえば、目のあたりが吉田洋?
大山捨松。
大山巌夫人。
会津藩家老山川浩、健次郎の妹。
米国に留学後、大山巌に見初められ、
後妻となります。
薩摩人との結婚には猛反対もあったが、
夫婦仲は良好。
鹿鳴館の貴婦人とうたわれ、
慈善事業にも積極的に取り組みました。
女性芸能人で似てる人が思いつきません。
意外とみんな美人ですね。
幕末とはほど遠い時代の話ですが、
たまにはこんな記事もいいでしょう?
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