山口県萩市 入江九一 野村靖誕生地

入江九一野村靖の兄弟は、
足軽入江嘉伝次の子として生まれ、
共に松下村塾に入門して学びました。
後に兄は松門四天王に数えられ、
弟は明治政府で大臣を歴任しています。


入江九一 野村靖誕生地」。
足軽入江嘉伝次宅跡のようですが、
古地図を確認すると北向いのようです。
嘉伝次は安政元年に死去しており、
長男の九一(杉蔵)は家計を支える為、
藩の下仕えで多忙な日々を続けており、
松下村塾には弟の靖(和作)が先に入門し、
※和作は親戚野村家の養子となる。
九一の入門は弟の入門から1年後でした。
その頃の松陰は間部要撃策や、
伏見要駕策等の過激な計画をしており、
高杉晋作久坂玄瑞も自重を説きますが、
入江兄弟はこれに賛同。
藩によって松陰は野山獄に収監された為、
これらの計画は頓挫してはいますが、
入江兄弟は松陰の指示で行動を続け、
これが発覚して二人共に投獄されます。
やがて松陰は安政の大獄により処刑され、
入江兄弟はその翌年に放免。
その後は尊皇攘夷運動に邁進し、
光明寺党奇兵隊に参加しました。
八月十八日の政変が起こり、
池田屋事件を経て禁門の変が発生すると、
九一は久坂と共に鷹司邸に侵入。
鷹司輔煕に朝廷参内を断られた為、
久坂と寺島忠三郎は自刃します。
九一は久坂に世子への伝言を頼まれ、
鷹司邸から脱出を図りますが、
越前藩の藩兵に討ち取られました。
靖は松陰や兄の遺志を継ぎ、
その後は内訌戦幕長戦争に参加し、
明治維新後は明治政府に出仕。
第2次伊藤内閣内務大臣
第2次松方内閣逓信大臣に就任し、
晩年は宮内省養育掛長を務めており、
明治42年に死去しています。

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山口県萩市 長寿寺
 入江九一ら入江家の墓があります。
東京都世田谷区 世田谷松陰神社(再訪)
 吉田松陰の墓所に野村靖も墓もあります。
京都府京都市 鷹司邸跡
 入江が戦死した鷹司邸の跡地。

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