明治2年の版籍奉還により、
勝山城の土地建物は国有化された為、
知藩事三浦顕次は旭川上流の台地に、
居館を建設して移り住みました。
「椎ノ木御殿」。
門前に椎の巨木があった為に、
椎ノ木御殿と通称されています。
その椎の木は現存してたようですが、
訪問時は全く気が付きませんでした。
「玄関」。
訪問時は茶会をしていたようで、
内部の見学は出来ませんでした。
「庭園」。
小さいながら赴きのある庭。
手入れもきちんとされてるようです。
裏手から。
この椎ノ木御殿には顕次以降、
3代が居住していたようで、
平成元年に旧勝山町に寄贈され、
整備された後に一般公開されました。
現在は「椎ノ木おもてなしの会」により、
維持管理が成されているとのこと。
【美作勝山藩→真島藩】
藩庁:勝山城(陣屋規模)
藩主家:三浦家
分類:2万3000石、譜代大名
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岡山県真庭市 椎ノ木御殿
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