雪舟は室町中期に活躍した画僧。
国宝に指定された水墨画6点をはじめ、
多くの重要文化財を制作しました。
その他にも多くの庭園の築庭も行い、
各地にこれが現存しています。
雪舟が晩年過ごした益田には、
医光寺や萬福寺に雪舟庭園が残っており、
国の史跡及び名勝に指定されています。
雪舟は東光寺という寺で晩年を過ごし、
そこで死去して埋葬されましたが、
東光寺は天正8年(1580)に焼失しており、
雪舟の墓所も荒廃してしまいました。
「大喜庵」。
元禄15年(1702)に僧大喜松祝は、
雪舟ゆかりの地が荒廃している事を嘆き、
その跡地に大喜庵を建立。
雪舟の旧墓もその際に発掘されており、
大喜庵の境内に墓所が営まれました。
「画聖雪舟禪氏師終焉地碑」。
本堂北側より雪舟の墓所へ行けます。
雪舟は東光寺からの展望を好んだとされ、
この地を終の棲家としました。
「石州山地雪舟廟」。
雪舟の墓は当所発掘されたものでしたが、
年月を経て崩壊してしまった為、
後に新しく建て直されています。
雪舟は備中国赤浜(岡山県総社市)に生まれ、
生家は小田家という武家であったとされます。
幼少期より近隣の宝福寺で仏門に入り、
10歳頃に京都の相国寺で修行を積む傍ら、
画僧天章周文に絵を学びました。
享徳3年(1454)頃に周防国に移住し、
守護大名大内教弘の庇護を受けており、
天花(山口市天花)に雲谷庵を建立。
応仁元年(1467)に遣明船で明へ渡航し、
本格的な水墨画を2年間研究しています。
帰国後は各地を遊歴して創作活動を行い、
晩年には親交のあった益田兼堯に請われ、
益田に移住して過ごしました。
「雪舟禪師追褒塔」。
雪舟の墓のうしろにある宝篋印塔。
ここには最初の墓石が置かれていましたが、
石は崩壊してボロボロだったようです。
これは没後500回忌に追慕塔として、
当時の宝篋印塔を復元したものとのこと。
「多根兼政公御廟所」。
雪舟墓所から上へ行くとある多根兼政の墓所。
元々東光寺は兼政の菩提寺だったようで、
そこに雪舟が入ってきたようです。
墓は[上の山 一升野]という場所にありましたが、
ここに移築して復元されたとのこと。
多根兼政は益田家5代益田兼季の五男で、
上の山城を築いて周辺を切り開いた人物。
更に上へ。
「小丸山古墳」。
山頂に立地する前方後円墳。
せっかくなので足を運びました。
6世紀頃にこの地を支配した首長の墓とされ、
石見地方で4番目に大きなものという。
古墳時代は範囲外ではありますが、
前方後円墳はやはり凄いなと感じますね。
■関連記事■
・山口県山口市 常栄寺
雪舟庭園のある寺院。
・島根県益田市 医光寺(再訪)
雪舟の灰塚があります。
・下関市豊浦町 川棚温泉
雪舟庭園のある妙青寺があります。
