島根県益田市 寺坂吉右衛門墓所

赤穂四十七士のひとり寺坂吉右衛門は、
吉良邸討入の後に姿をくらましており、
唯一生き残った人物として知られますが、
その理由には諸説あるようです。
討入直前に逃亡したという説や、
足軽身分であった為に逃がしたという説、
大石良雄から密命を受けたという説があり、
実際の真相は不明となっています。

この為に寺坂のその後の動向には諸説があり、
全国各地に墓もあるとのこと。
但し定説では麻布曹渓寺で寺男となっており、
そこで死去した事となっています。
今回訪問した益田市にある寺坂の墓は、
曹渓寺で死去した後に分骨されたもの。


寺坂吉右衛門縁由乃地」。
説明板によると寺坂は討入の後、
大石良雄の密命を受けて、
亡君浅野内匠頭の奥方瑤泉院や、
亡君の弟浅野大学良広
豊岡藩家老石束源五兵衛毎公に、
※大石の妻りくの実家。
復讐の次第を報告に向ったとのこと。
その後に江戸に帰った後に罪を許され、
仏門に入って諸国を遍歴。
石見のこの地で信行庵を結んで、
四十六士の冥福を祈って過ごしたという。
寺坂は高齢となった後に江戸に戻り、
麻布で死去して曹渓寺に埋葬。
遺言によりここに分骨されたとのこと。


寺坂吉右ェ門信行之墓」。
寺坂吉右衛門の分骨墓。
説明板の寺坂の動向については、
他所の話と食い違いがあり、
その信憑性は不明ではありますが、
分骨については間違いなさそうです。
本多平八郎宗家家臣伊藤治興に奉公し、
曹渓寺の寺男となった後、
檀家の麻布山内家に仕官したとされており、
この地に晩年までいたとすれば、
奉公や仕官は無理でしょうし、
仏門に入った後に仕官は考えにくい。
辻褄を合わせようとすれば、
麻布山内家を辞した後に諸国を遍歴し、
この地に辿り着いて草庵を結び、
その後に江戸に戻ったとなるでしょう。
この辺りは現在ものどかな場所なので、
分骨を遺言したのもあり得るでしょう。

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