奥の院墓地にある石田三成の墓所。
三成は天正18年(1590)30歳の時に、
奥の院に逆修塔を建立しています。
「宗應 逆修」。
石田三成の逆修塔。
逆修塔は自分の死後の冥福や,
往生を祈る為に自ら建てる供養塔。
三成は徳川幕府からは逆賊であり、
徳川家に忠誠を誓う大名らが、
こぞって供養楼を建立する場所に、
逆賊の供養塔が建ち続けたという事は、
大変興味深い事だと思います。
日本人の死生観や宗教観が、
この供養塔を現存させたのでしょう。
三成は幼少期より豊臣秀吉に仕え、
行政面で卓越した能力を発揮。
豊臣政権の中枢を担う五奉行の一人で、
公正無私で信義に篤い忠臣でしたが、
武断派の大名達からは煙たがられました。
秀吉の死後に徳川家康が台頭すると、
これを阻止すべく挙兵しますが、
海千山千の家康とは役者が違ったようで、
関ケ原の戦いに敗れて捕縛され、
六条河原で処刑されています。
■関連記事■
・佐賀県唐津市 名護屋城跡①
豊臣秀吉が築かせた朝鮮出兵の拠点。
・高野山奥の院墓地/明智光秀墓所
奥の院墓地にある明智光秀の墓所。
・和歌山県伊都郡 高野山奥の院墓地
弘法大師の御廟参道にある巨大な墓地。
