七日市陣屋を訪問する際、
乗る電車を間違えてしまい、
上信富岡駅行に乗ってしまいました。
※本来は2つ先の上信七日市駅が最寄。
仕方なく上信富岡駅の貸自転車を借りて、
自転車で七日市陣屋まで行ったのですが、
せっかく自転車に乗っているので、
寄り道して富岡製糸場まで行ってみます。
「富岡製糸場」。
日本初の本格的な器械製糸工場で、
世界遺産及び一部が国宝となっています。
開国後の日本の主要輸出品は生糸でしたが、
粗製濫造で国際的評価が下がった為、
この評価を挽回する目的で、
官営の器械製糸工場として建設されたもの。
富岡製糸所へ名称を変更、
三井財閥への払い下げ、
原合名会社への譲渡、
㈱富岡製糸所としての独立、
片倉製糸紡績会社との合併、
片倉工業㈱への吸収を経て、
昭和62年まで操業を続けました。
閉鎖後も片倉工業は維持や管理を続け、
現在の良好な保存状態を保ったようです。
維持費に1億円以上ともされており、
片倉工業の文化財保護への取り組みは、
非常に高く評価されました。
平成17年に旧富岡製糸場として、
国史跡に指定され一部が国宝に認定。
平成19年には、
富岡製糸場と絹産業遺産群として、
日本の世界遺産暫定リストに記載。
そして平成25年に世界遺産に登録されて、
現在に至っています。
自転車で正面まで来たものの、
中に入る時間は残されておらず、
正面の写真を撮って退散致しました。
この日は3つの藩庁を周る予定・・・。
「龍光寺」。
自転車で移動中に発見。
ちょっとだけ寄ってみました。
室町時代後期創建の由緒正しいお寺ですが、
墓地に製糸場の女工達の墓があります。
「旧官営富岡製糸場女工の墓」。
30基程の女工の墓がありますが、
大きくも小さくもない古い墓といった感じ。
富岡製糸場では、
日祝日、年末年始や夏休み等が設定され、
医療施設や寮も設けられており、
当時としては好環境の職場でしたが、
チフスの流行で明治34年までに、
約60人の工女が死去し、
54人が龍光寺に葬られたとされています。
しかし3年ほど経ったとはいえ、
大河ドラマ花燃ゆでは楫取素彦や美和子と、
直接関係ない富岡製糸場が語られ、
酷い有様ではありましたが、
当の富岡では花燃ゆや文の気配は皆無。
まあ当たり前の事ですね。
全てが楫取の功績のように語られる話に、
富岡市民も困惑した事でしょう。
もちろん楫取は富岡製糸場の存続を、
政府に請願していますので、
関係はゼロではありませんけどね。
少なくとも僕が見た限り花燃ゆや、
文の気配はありませんでした。
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