愛知県刈谷市 十念寺/刈谷藩土井家墓所

刈谷藩土井家の菩提寺十念寺は、
奈良時代に開創された寺院ですが、
具足山という珍しい山号を称しています。
その由来は定かではありませんが、
この山号を称するようになったのが、
室町時代という武家の時代なので、
勇ましい名が付けられたのかもしれません。


本堂」。
嘗ては広大な寺域を有していた様ですが、
昭和40年代の区画整理事業で、
現在の敷地は1/4程になったとの事。


土井子爵家御廟所(奥)」、
天誅組総裁松本奎堂墓所(手前左)」。
本堂左側に土井家の墓所かあります。
残念ながら非公開。


松本奎堂之墓」。
土井家墓所は門が閉じられていますが、
松本奎堂の墓は見える位置にありました。
奎堂は刈谷藩士松本惟成の二男に生まれ、
幼少から学を好んで秀才として誉れ高く、
楽器や唄もこなせる芸達者だったという。
槍の練習で左目を失明しましたが、
周りが慌てる中で平然と歌を吟じたという。 
昌平坂学問所に学び舎長も務めており、
天誅組の文書は奎堂の起草によるという。
天誅組の変で追討軍に追われた際に、
右目も負傷して盲目となり、
紀州藩兵に囲まれて銃撃を受けて戦死か、
若しくは自刃したとされています。

譜代藩は墓所が領地に無い場合が多い。
もちろん色々な理由があるのでしょうが、
郷土意識が低いように感じられます。
それが士民一体と成り難かった一員となり、
その役目を発揮できなかった要因でした。
刈谷藩は所領に藩主家墓所がありますので、
なんとなく土着イメージが感じられます。
やはり地に足が付いているということは、
重要な事なのではないでしょうか?

■関連記事■
愛知県刈谷市 刈谷城跡
 刈谷藩土井家の居城跡。
福井県大野市 大野城①/
 同族の大野藩土居家の居城跡。
奈良県五條市 五條代官所跡
 天誅組が襲った幕府の代官所跡。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です