刈谷藩土井家の菩提寺十念寺は、
奈良時代に開創された寺院ですが、
具足山という珍しい山号を称しています。
その由来は定かではありませんが、
この山号を称するようになったのが、
室町時代という武家の時代なので、
勇ましい名が付けられたのかもしれません。
「本堂」。
嘗ては広大な寺域を有していた様ですが、
昭和40年代の区画整理事業で、
現在の敷地は1/4程になったとの事。
「土井子爵家御廟所(奥)」、
「天誅組総裁松本奎堂墓所(手前左)」。
本堂左側に土井家の墓所かあります。
残念ながら非公開ですが、
この奥には下記の墓があるとのこと。
7代当主(4代藩主)土井利謙の墓、
10代当主(7代藩主)土井利祐の墓、
13代当主土井忠直室良子の墓、
歴代当主及び奥方、親族の合葬墓、
12代当主土井利教嫡男八助の墓、
11代当主土井利善三男甲子太郎の墓。
※浅草誓願寺に歴代墓所がありましたが、
これは関東大震災で崩壊しており、
練馬仮宿院を経て十念寺に改葬し、
合葬墓が建てられたようです。
「松本奎堂之墓」。
土井家墓所は門が閉じられていますが、
松本奎堂の墓は見える位置にありました。
奎堂は刈谷藩士松本惟成の二男に生まれ、
幼少から学を好んで秀才として誉れ高く、
楽器や唄もこなせる芸達者だったという。
槍の練習で左目を失明しましたが、
周りが慌てる中で平然と歌を吟じたという。
昌平坂学問所に学び舎長も務めており、
天誅組の文書は奎堂の起草によるという。
天誅組の変で追討軍に追われた際に、
右目も負傷して盲目となり、
紀州藩兵に囲まれて銃撃を受けて戦死か、
若しくは自刃したとされています。
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