奈良県五條市 五條代官所跡

五條代官所は、大和国南部天領を支配した代官所で、
天誅組の変で襲われた代官所として知られています。


五條市役所」。
五條代官所のあった場所は、
現在五條市役所となっています。
代官所は代官を派遣して行政を行う役所でしたが、
その政務を行う役人と下働きの中間などがいる程度で、
軍事的には全く無防備の施設でした。
基本的に軍事は周辺の藩が担うものですので、
当たり前といえは当たり前なのですけどね。


明治維新百五十年記念碑」「五條代官所跡」碑。
市役所前に設置された石碑。
大和行幸の先鋒となるべく、
堺に到着した中山忠光を主将とした天誅組は、
狭山藩よりゲベール銃などの武器を調達し、
五條代官所を襲撃。
五條代官鈴木源内ら数名を捕らえて首を刎ね、
代官所を焼き払い、その首を晒して罪状を掲げました。
※殺害されたのは、代官鈴木源内以下、長谷川岱助
 黒澤儀助木村祐次郎恒川庄二郎の5名。

天誅組は桜井寺を本陣として、
五條代官所支配領を天皇の直轄地とし、
その年の年貢を半減にすることを宣言します

・・が、その翌日遅くに京都より一報が入り、
八月十八日の政変により大和行幸が中止されたと知る。
天誅組幹部は軍議を開き、徹底抗戦を決定。
五條にいては追討の危険がある為に、
十津川方面へ向かいました。

天誅組に焼かれた五條代官所は、
西に300m行った位置に再建されました。
現在の奈良地方裁判所五條支部のある場所です。


長屋門(五條市民俗資料館)」。
再建された代官所は、五條県庁に引き継がれ、
警察大屯所を経て五條区裁判所となり、
現在に至っています。
その後、裁判所の建て替えの際に、
正門の長屋門を市が譲り受け、
五條市民族資料館として整備されました。
資料館内は天誅組の軌跡や年表、
グッズなどが並べられていますが、
そもそも天誅組は代官所の敵方なのですけど・・。


明治維新発祥地」碑。
長屋門の前にある石碑。
明治維新の発祥地を名乗っていますが、
これは天誅組による挙兵が、
明治維新の魁の義挙であるということから。
確かに天狗党の乱生野の変よりも早く、
挙兵に関していえば発祥とも言えなくもないのですが、
それならば大塩平八郎の乱の方が早い。
同じく発祥を名乗る碑は長府にもありますが、
これは維新が功山寺挙兵より始まるという事から。

僕自身は何が発祥かなんて決められません。
ペリー来航かもしれませんし、
桜田門外の変かもしれませんし、
功山寺挙兵かもしれませんし、
薩長同盟かもしれない。
まあ、どこが発祥かなんて、
どうでも良い事かもしれませんよね。

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