長州藩は下関で外国船砲撃を行っており、
これは一般的にも知られる事件ですが、
その137年前の享保11年(1726)に、
須佐湾に侵入した外国船に対して、
その討ち払いを行っています。
永代家老益田家の領地須佐湾に唐船が現れ、
これに対して攻撃を加えて沈めた事件で、
当時の一隻の唐船さえ難儀していたのに、
西洋の黒船に攻撃を仕掛ける事が、
どれだけ無謀かを知る事ができるでしょう。
享保11年8月7日。
蟶潟の漁師達が高山崎で漁をしていると、
北から大砲の音がした為、
これに近寄ってみると唐船でした。
江崎浦に行くように見えたが、
高山岬で滞留している様子。
漁師達は江崎番所に通報し、
即時役人が見分に出向きます。
唐船は黒島の西方に碇を下しており、
萩の役人と益田家家臣らで相談し、
藩の沙汰を待つ事にしました。
享保11年8月8日。
翌日、船で見分を行おうと沖へ出ると、
唐船は碇を上げて湾内へ侵入。
役人らは扇子で沖に出て行けと手招いたが、
唐船は湾内に入ってしまう。
唐船は竹竿に書簡を挟んで渡し、
「長崎に行く途中で嵐にあって遭難した。
船内に水が無く困っている」
との旨が伝えられます。
筆談は品川友哲(益田家中の学者)が行い、
「この船は何の船か?
長崎政所御判物を持っているか?」
と訪ねさせました。
筆談の末に長崎の御判物が差し出され、
積荷や乗組員の数が事が知らされます。
人質を差し出すように掛け合い、
2人の人質を連れ帰り、
唐船にも番船に係留されました。
萩より重臣や兵がやってきて、
代官粟屋八左衛門も到着。
粟屋は萩での評議によって、
唐船は討ち潰す事に決定したと告げます。
※この人質は後に殺されます。
享保11年8月9日。
品川友哲が油断させる為、
贈物を持って唐船に挨拶に行き、
船から離れると陸より攻撃の船が出港。
・・が、暴風雨となり、
攻撃ができなくなります。
しかし漁船の一隻が梶を大鋸で切断。
雨が止むのを待って大筒、小筒を討ち掛け、
約半日に渡って攻撃が行われましたが、
唐船はびくともしない。
約2時間の休憩後、再び攻撃が行われ、
焼草船を寄せて焼討ちしようとしますが、
熱湯を掛けられるなどの抵抗があり、
攻撃は不首尾に終わります。
享保11年8月10日。
未明から最々度攻撃を加えたが、
結果は同じで一時退却。
須佐衆は湾内に待機します。
夕刻、萩より後詰の援軍が到着。
会議が行われました。
享保11年8月11日。
夜を徹して会議が行われ、
未明に萩衆が出船。
早朝に攻撃が開始され、大筒、小筒の他、
棒火矢、ほうろく火矢等が加わります。
「どのような事をしてでも、
今夜中に討ち潰せ」
と萩政府より厳命されますが、
唐船も必死に応戦して船を寄せ付けない。
久兵衛という船子が泳いで焼草船を引き、
唐船に碇綱に結い付けると申し出たので、
それでは一斉に唐船への攻撃を行い、
同時に泳いで碇の綱を切らせようとなり、
大砲を激しく討ち掛けて、
その間に碇綱を切らせます。
決死に覚悟で乗り込もうとした矢先、
唐船もこれまでと船に火を放ち、
唐人は火の中に飛び込み、
また海へ身を投げました。
海に身を投げた者は槍や鉄砲の餌食となり、
唐船は炎上してしまいます。
この様子は多くの見物人が見る事となり、
須佐や萩の民の他、
隣国の石見からも見えたようで、
北前船や鯨船からも見物されていました。
後に唐船の御判物はニセモノと判明。
幕府への報告には筆談交渉が伏せられ、
密貿易船を討ち払った事が強調されます。
幕府としても事実確認を行い、
隠密も派遣されていますが、
海上の出来事の為に詳しい見物人もおらず、
長州藩も庄屋や旅籠等へ口留めを行い、
幕府より褒美が下賜されました。
密貿易船だった証拠は偽の御判物のみ。
いくらでも手が加えられるシロモノです。
藩が何故討ち払いを行ったかは謎ですが、
唐船程度でこれだけ苦労したわけですから、
137年の時が過ぎたとはいえ、
黒船に対抗できないのは明白。
もし結果だけが伝わっていたのなら、
同様に打ち破れると思ったのかも?。
■関連記事■
・山口県萩市 唐人墓
犠牲になった唐人達の墓。
・下関市前田 前田台場跡
占領された長州藩の台場跡。
・下関市前田 角石陣屋跡
前田台場の後方拠点の陣屋。
・福岡県北九州市 仏水兵戦死者記念碑
フランス側にも戦死者は出ました。
コメントありがとうございます。
僕も若い頃はそれ程歴史に興味がなく、
今更ながら亡き祖父祖母に聞きたかった事も多くあります。
この内容は「郷土 (下関郷土会)」より発見し、
僕も大変興味を持った話だった事を覚えていますが、
もっと知られても良い内容と思いました。
これからも色々と記事にしていきますので、
また是非遊びに来て下さい。
先祖が江崎で外国船や八幡船を監視する役人をしていたそうなのですが、詳しい話を聞く前に祖父が他界してしまい、こういった出来事の存在を聞く機会を逃してしまっていたので大変興味深い記事でした。
ありがとうございます。