北海道松前郡 松前護國神社

青森での出張中に現地休暇があったので、
松前に行ってみようと計画。
雪国は不慣れだったもので行く前に、
松前観光協会にメールして、
色々と訪ねていました。
計画は始発の新幹線木古内駅まで行き、
そこからバスに乗って9時台に到着。
色々と史跡観光した後に、
午後1時前のバスで木古内に帰って、
新幹線で新青森に帰るというもの。
これで無理はないか?
現地の雪の状況はどうか?など、
色々と質問させてもらいました。

・・で、予定通り松前に到着し、
小雪がぱらつく中で松前城を訪問。
写真を撮っていると、
kii(本名)さんですか?」と、
いきなり声を掛けられました。
北海道に知り合いは居ないのにと思ったら、
観光協会の者です」との事。
質問の際には雪は殆ど無いとの事でしたが、
当日の夜に大雪が降ってしまった為、
心配して僕を探してくれたようです。

松前城の他に松前護國神社にも行きたいが、
歩いてどのくらい掛かるか?雪の状況は?
などと質問していたので、
夜の大雪を気にして僕を探していたとの事。
松前城を写真を撮ってる僕の姿を見て、
声を掛けてくれたようです。
そして車で案内をしてくれるとの事!
なんという幸運でしょう!
行くかどうしようか迷っていたところで、
松前城を一通り巡りながら、
どうしようかと思ってたところでした。

松前護國神社はGoogleMAPで徒歩30分。
行き帰りだけで1時間は掛ってしまいます。
実際に車で連れて行ってもらうと、
結構な坂で舗装されていない道でした。
歩いて行ってたら後悔していたでしょう。


松前護國神社鳥居」。
松前藩は新政府側に与した為、
土方歳三率いる旧幕府軍に攻撃され、
領地を奪われて弘前に撤退しています。
箱館戦争の終結後に戻って来ると、
戦闘によって戦死した藩兵及び、
新政府軍の諸藩兵神止山に埋葬し、
神止山招魂場として藩が祭事を執行。
明治9年に本殿が建てられて、
神止山招魂社と改称された後、
全国招魂社が護國神社と改称された為、
福山護國神社を経て、
松前護國神社となりました。


長州藩等の諸藩戦死者の墓碑。
実は僕と同じ苗字の神霊がいたので、
観光協会の人は子孫かと思ったそうですが、
残念ながら全く縁もゆかりもありません。


民兵達の墓碑。
寒い土地では墓碑も痛みやすいようで、
名前は削られたようになっていました。
誰かに削られたのかと聞きましたが、
そういうわけではないようです。


松前藩士の墓碑。
諸藩兵は合葬ですが、
こちらは一人ひとりに墓碑があります。


烈婦川内美岐子之墓」。
足軽北島幸次郎の妻美岐の墓碑と顕彰碑
積まれているのが顕彰碑で、
小さく折れているのが墓碑です。
土方歳三を総督とする旧幕府軍は、
松前城を攻撃し数時間で落としますが、
その際に城に残っていた美岐は、
松前藩兵が逃走する中、
はさみで喉を突いて自害しました。
美岐のこの行動は烈婦として称えられ、
靖国神社にも合祀されています。


こちらも松前藩士達の墓碑。


松前護國神社 社殿」。
2度の松前城攻防戦の官軍戦死者の他、
以降の事変にの戦死者も合祀されています。


江差等の松前以外での戦死者の碑。
これは江差から持って来たようです。

国の為に戦死した者達を皆で永久に祀る
という招魂場は高杉晋作が提唱したもの。
遥か南の山口県で発祥した考えが、
遠く離れた松前にも造られました。
松前という国を守る為に戦死した藩兵達と、
松前を奪還する為に戦死した藩兵及び、
諸藩兵を永久に祀る為、
この招魂社は建てられたようです。

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