松前藩」タグアーカイブ

東京都文京区 吉祥寺/松前藩松前家墓所

吉祥寺にある松前藩松前家の墓所。
松前家の始祖は武田信広とされており、
その出自には諸説ありますが、
上国守護蠣崎季繁の客分として身を寄せ、
アイヌとの戦いで活躍した事から、
気に入られて婿養子となり、
蠣崎家の家督を相続したとされています。
後に5代蠣崎慶広豊臣秀吉に臣従し、
蝦夷地一円を安堵されており、
秀吉の死後は… 続きを読む

青森県弘前市 薬王院

五稜郭を拠点にした旧幕府軍は、
土方歳三率いる700名で松前城に侵攻。
松前藩はに新しく城を館城を築城して、
藩主一族らを移動させていましたので、
松前城は抵抗空しく数時間で落城。
しかし別働隊500名が館城を攻撃し、
同じく館城も落城してしまいました。
藩主一族は戦闘が始まる前に落ち延び、
江差より海を渡って弘前藩続きを読む

北海道松前郡 永倉新八居住地跡

新撰組の二番組組長永倉新八松前藩出身。
とはいえ江戸詰家臣長倉勘次の次男で、
江戸で生まれて松前では育っていません。

永倉は神道無念流を習得して剣術に傾向し、
後に剣の道を究めたいと脱藩。
数々の道場で腕を試した後、
試衛館の食客となって近藤勇らと共に、
清河八郎続きを読む

北海道松前郡 法幢寺/松前藩松前家墓所

松前城の北側は非常時の外衛的役割の為、
寺を集中的に配置した寺町となっています。
江戸時代初期より周辺の寺が移設され、
当時は15の寺がありました。
しかし松前城攻防戦における戦火により、
その殆どが焼失してしまい、
後に移転した寺も数多く、
現在は5つの寺が残るのみとなっています。


寺町」。
当時の寺町の道路は現在の半分ほどで、
あとの半分は堀であったという。


法幢寺続きを読む

北海道松前郡 松前城②

つづき。
/②

資料館を出て南側へ。

二重太鼓櫓跡」。
津軽海峡の臨める二重太鼓櫓があった場所。
名称どおり太鼓が置かれていたようで、
城下に時を知らせていたようです。


東郭隅櫓跡」。
名称のわりに隅にはありません。


内堀続きを読む

北海道松前郡 松前城①

①/

松前城は日本最北端日本式城郭にして、
福江藩石田城(記事はこちら)と並んで、
江戸時代の最後期に建てられた城です。
あえて日本式城郭と表現した理由は、
もっと北に同じく松前藩が建設した館城や、
函館の… 続きを読む